Blog Book of Captainyama

76ヶ国の海外旅行記です。 1999年からの世界旅行を2007年6月までのセブ島滞在中に ブログにしたものです。

サントニィーニョ Hot Hot セブ

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(セブ シノログの お祭り)

  
 フィリピン、セブでシノログfestivalが21日まで開催されました。
 今日が最終日
 ビデオカメラ片手にオスメニア広場に馳せ参じました。

 マゼランが400年前にセブに来た時
 キリスト教布教と併せて置いていったと言う幼きキリストの人形。

 それを納めたセブ最古のサントニィーニョ教会の御祭です。

 人 人 ひと ヒト 人。
 なんて多いんだ、それも若い。
 参加者の中心は小学生じゃないのか、

 12~13才。
 うらやましい、日本にコンナに子供はいないぞ
 爺さん・婆さんばかりだ。

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 (地元に根ずいています)

 札幌の《よさこいソーラン祭り》も若いがそれでも20歳台が主体
 此処はローティーン。
 人間が民族の財産だと云うのを実感します。
 
 日本はもう駄目だね!。

 広場から歩いた 歩いた 歩いた アルイタゾー!。
 僕がクタクタなんだから参加した此の子達は大変だ。
 30度℃のセブで、北緯10度で!。

 若くなきゃ出来ない、爺さんじゃ死ぬ。確実に!。

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(色鮮やかな民族衣装)
         
 サントニィーニョ教会まで歩きました、コロンを通って。
 コロンは相変わらず臭い、汚い、眼つきが悪い
 でもバナナは安い。

18本で36ペソ、一本2ペソ(約 5円)、蜜柑も安い、マンゴも安かった。

 教会は人で一杯、先に進めない
 ローソクの煙り、殺気立ってない《三社祭り》状態。

 もう諦めた、TAXI拾おう、交通規制で車は走ってない。

 コロンの外に出ました。
 サンペドロ要塞を過ぎても空タクシーなんて居ない。
 30分手を挙げ続けた、車は渋滞で動いていない。

 ショウガナイ歩くか、安いバナナとマンゴ、買うんじゃなかった。

 ビニール袋が手に喰い込んでくるよー。
 Never Give up 今日も 明日も
 衝突するまで眼は開ける(captainyama 標語)。

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(みんな御祭りが大好きです)

 それにしても此の4ヶ月
 サミットの為の大道路工事と2回のサミット、クリスマス
 シノログと交通規制と渋滞
 フィリピン人辛抱強いねー、本当。

 結局 タクシー拾えたかって ひろえたよ!
 だから今blog書いてられるんだよ。
 バナナ片手に!  
        

           それではまた後日
      
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New York


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 (NYさくら亭  ニューヨーク 中心部にある清潔な宿でした)

     
 2005年6月 僕はNew Yorkに行きました。

 セブから出発しマニラで一泊した後 
 North West で成田を経由してニューヨークに着きました。

 成田トランジットです。
 (地球の歩き方ニューヨーク)を成田で買い込み
 目的地まで13時間お勉強です。

 宿はNYさくら亭(w46th.st betw 10th~9th.ave)です。

 マンハッタンは碁盤の目状なので直ぐに分かりました。
 日本人経営のドミトリーで格安、親切でした。

 御客もミュージシャン 学生 古着買い付け業者 
 元ニューヨーク在住者等面白く

 男性のスタッフにはニューヨークでの住宅の捜し方
 コミュニティー等教えて頂きました。

 経営者の叔母さんはチョッと怖そうでした。皆さんどうも有難う!。

 毎日よく歩いた
 1ヶ月 靴がよくモッタと思います。West Coast(靴)どうも有難う。

 地下鉄もバスも余り利用せず、ひたすら地上を歩きとうしました。

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《West Coast(靴)》

 ニューヨークの朝の顔

 昼の顔
 夕暮れの顔

 夜中の顔
 ダウンタウンの顔
 ハーレムの顔

 セントラルパークの顔
 本屋の顔

 デパートの顔
 レストランの顔

 とりわけ日本食レストランの顔。

 スポーツバーの顔
 ジャズスポット(バードランドやブルーノート)

 ソーホー
 美術館

 一日15時間よく歩いたと思います。

 三週間が過ぎた頃から公園に居る時間が長くなりだしました。

 リンカーン公園・ワシントン公園
 その他にもマンハッタンには小さいけれど
 ホットする公園が沢山あります。

 帰りたいなあ、帰りたいなあ、帰りたい!帰りたい!
 かえりたいぞう。
 タブン体力的に疲れたみたいです。


 それと(世界の中心)を見てみたい
 と云う気持ちで来たのだけれど
 此の街を見て世界の中心と云う実感は沸きませんでした。

 此れまで旅したどの国も
 外観をジッと見てると内容が解りました。

 でも此の国、此の街は解りません。
 ニューヨークは二度目、米国は五度目です。

 今思うと
 (世界の中心)はインターネットの中に有るのではないかと!。


 と云うことは最早、場所としての(世界の中心)など
 存在しなくなったと云う事です。(結論)。

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(セントラルパークで)

 滞在2週間目にホテルを移しました。
 SETON HOTEL ( E-40 th.st  betw Lexington .Ave ~3rd.Ave)
 クライスラービルの100m南です。

 世界の中心にあったマフィアhotelです。
 一日65ドル格安です。
 3週間分を前払いして入居しました。

 最初にコンタクトした時からオカシイとは思いました。

 レセプションが堅気ではないのです。
 自棄に高飛車で
 まあ安いから仕方無いかと思ったのが判断の誤り。

 此処は再開発地域
 地上げした土地にHotelが有ったので
 マフィアが客人を泊めるのに使っていたHotelだったのです。

 僕の部屋は客人の隣部屋でした。

 毎日夜中に帰ってくる、ガールフレンドを連れて酔っ払って
 大声で怒鳴る

 レセプションのスタッフも上がってきて喧嘩同然
 ジャックマネー 100ミリオンダラー(120億円)
 ブラザー バハマと云う言葉が飛び交っていました。

 賢明な読者諸兄は何が起きているか推察出来ると思います。

 此のチンピラは今夜、絶対に殺されると思いました。
 だけど壁はベニヤです。

 隣室でソファーに座っている処を撃たれると
 此の部屋のベットの位置に弾が抜けてきます。

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(ニューヨーク ヘリから写す)

 寝てられないぞ!
 部屋の隅に椅子を移しマンジリともせずに3時間が過ぎました。

 大声は変わらず、未だ殺されてない。
 こいつ薬をやってるな、3時間もよく元気で叫んでるなあ!

 そう思いながらメンドウクサク成り何時のまにか寝てしまいました。

 2週間程これが毎晩続いた後
 何時からか隣人は姿を消していました。

 入居した当初
 鬼のような顔をしていたレセプションのスタッフも
 朝僕と顔を会わすと少し笑うようになっていました。

  三週間が過ぎ
 僕はまたセブに帰ってきました。

 セブの空はいつも青く
 白い入道雲がむくむくと湧き上がり
 セブアノの顔は笑顔で満ちています。

 Lexington.Ave での出来事は一体なんだったんでしょう。

        

   それではまた後日

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 (これがセブ島)


 追記 2007年7月 
 ニューヨーク・マンハッタン路上で爆発事故発生
 さてはテロかと驚きました。

 場所はグランドセントラル駅の近くだと云います。

 原因は地中蒸気管の老朽化だと云います。
 大量のアスベストが飛散していると云います。

 大変だなーと思いよく見ると何処かでみた景色です。
 そうですseton hotelの斜め前が爆発地点だったのです。

 テレビの映像にはseton hotelも写っていました。
 怖い怖いマフィアホテルでしたが
 僕にとっては3週間滞在した思い出深い場所です。

 ここは再開発が遅れていて、マフィアが地上げをしていた地域でした。


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(セトン ホテル)

避暑地 バギオ

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バギオ空港で セスナ210 横田アビエーションの機体)

   
 BAGUIO cityを御存知ですか
 フィリピンの首都マニラから直線距離で220㌔
 ルソン大山脈の中に在る避暑地です。

 富豪の別荘や高級ホテルのあるフィリピン人憧れの場所です。
 日本の軽井沢だと思ってください。

 別名ベンゲット地方と呼ばれる此の自然険しい地方は
 第2次世界大戦中
 山下大将が米軍に投降した場所としても有名です。

 最期の総司令部が置かれる程
 要塞として充分守り易く攻め難い場所です。

 マニラから車をチャーターして行った事があります。
 まる1日掛かりました。

 街は標高1500m(4500フィート)周りは山に囲まれ
 2600m(8000フィート)高原盆地になっています。

 フィリピンでは珍しく美味しい苺が採れる場所として有名です。

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(マニラのコンド屋上から離陸する ロビンソン22)

 その苺を買いに行こうと
 ヨコタアビエーションのセスナ210を操縦しバギオに向かいました。

 燃料満タン
 3000時間のベテラン教官captain ラモンを横に乗せて。

 プラリデール空港を離陸し
 クラーク基地を過ぎると、直に山岳地帯が見えて来ました。

 高度10000f(3000m)ナビゲーションどうり
 地図は完璧、時間もピタリ。        
 Runway09-27
               
 雲の間をすり抜け高度を8000fまで落とした辺りで
 様子が変わって来ました。

 バギオが見えない
 何処も同じ山 山 ヤマ。
 GPSで方向は分かります。

 バギオtowerと無線連絡もとれました。
 山の稜線を超えて降下を始めました。
 未だバギオの街も空港も見えないのです。

 山の中に入って行く事は非常に危険です。
 袋小路に入ったら一巻の終わり
 雲に入ったら山に激突

 上も下も横も雲、雲、山、山、山
 『私の名前はcaptain yama 』冗談は云って居られません。

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(プラリデール空港 横田アビエーション区域)

 未だバギオは確認出来ない。
 初めての空港です。
 陸から行ったのとは見え方が、まるで違います。

 北から西に、右から左に旋回して降下していくと
 見えた、バギオだ。
 足がすくみました。

 ドラム缶の中に
 マッチ棒の様にポコッと浮んでいるのがバギオです。
 バギオは空中都市だったのでした。

 どうアクセスしたら良いのか頭の中が真っ白に成りました。

 其れを察知したベテランRAMON
 サッサと操縦桿を取りセスナ210を着陸させてしまいました。

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(ベテラン機長 ラモン あんたはスゴイ)

 そうかこんな場所でもターニングBaseと
 ターニングfinalのポイントを確定すれば
 平地と同じ要領で降りられるのか。

 再離陸時もう一度とタッチ アンド ゴーを要求しましたが
 滑走路はバギオ市民の生活道路として使用されている為
 却下されました。

 とても良い勉強に成りました。
 (Never give up 今日も、明日も! 衝突するまで眼は開ける!)
 captain yama 標語

 因みに此の空港は午前中のみ離着陸を許可されるとの事。

 そりゃそうだろう
 午後は雲が出てレーダーもGPSも
 バギオの地形では役に立ちません。

 此処はドラム缶の中なんだから。

 ついでに書くと滑走路は傾斜があり離陸は山登りで
 セスナ210 takeoff speed 70 knt を80 knt に増速して離陸しました。

 苺は買って来たかって?。
 わすれました。 ハイ、スイマセン! 
              
   それではまた後日。
  


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(ヨコタアビエーションのハンガー  ナバホ)

エチオピアの鳥人

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(湖水地方で記念撮影)

 地学で大地溝帯と云うものがあります。

 トルコのアララット山辺りから始まり
 イスラエルの死海、紅海を抜けてエチオピア
 ケニア、タンザニアとアフリカを縦断して行く

 地球に刻まれた大きな割れ目 溝と云うものらしいです。

 エチオピアの国内航空路線に乗ると
 実に綺麗に此れが地溝帯かと分かります。

 グランドキャニオンをずっと大きくした様なものです。

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(湖水地方の漁師・ この湖の畔に爺さんがいた)

 首都アジスアベバを南に数百キロ下って行くと
 地溝帯に沿った湖水群が続きます。

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(山の中で車を停めると、すぐにエチオピアの子供たちが集まってくる)

 道路は中国の技術 財政的援助で整備されつつ有ります。
 湖畔には集落が在り、朝方は漁師が市を開き賑わっていました。

 外国人である僕が入って行っても別に気にする事なく
 皆のん気に集って楽しく過しています。

 何を話しているのかニコニコ笑顔で田舎はいいなと
 僕もリラックスして魚を見て歩きました。

 でも、アレー、マントのようなボロ布を纏ったあの爺さん
 一寸小さくて、さっきからニコニコ
 いい爺さんだなと思っていたら、禿げてて、人間じゃあないぞ!。

 僕がジッと見ているのに気づいて
 爺さんも怪訝な顔をしたので、一寸眼を逸らして
 もう一度見返すと爺さんが居ない。

 ふっと上を見上げると
 4mはある大きな鳥が上空を舞っていた。
 うわー爺さん鳥だった。
    

 4羽程の怪鳥が羽根を広げてユックリ空を旋回しています。
 アフリカ禿コウと云うコウノトリの一種らしいです。
 爺さんに威厳を感じました。

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(どこでも子供がたくさん)

 僕達は日本人だ 韓国人だと人や動物を分けて考えて
 領土だ国境だと拘り、其れが文明だと思っています。

 でも此処、湖水地方の人は 彼は空を飛べる人
 僕は遠くから来た人
 自分は魚を捕る人としか思っていないのでしょう。

 僕の常識、地溝帯の非常識! 《恐るべしアフリカ》 
 ふっと溜息をついて市場を後にし林を抜け
 停めてあったバスの処まで来ました。

 振りむくと
 湖岸あたりの上空で爺さんは未だゆっくりと旋回していました。

 僕は此の時本気でパイロットになりたいと思いました。
        
      それではまた後日
          


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(エチオピア珈琲の木の下で)

チベットでジルバは?

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(ラサ ポタラ宮)

 高い処と踊りが好きでスイスではマッターホルンを眺めながら
 タンゴを踊りました。
 3000m、本当です!。
 
 チベットでジルバは如何ですか。 ラサ 3300m。

img397
(ラサ⇒シガツエ間の峠道 湖が見える)

 東京から2日掛りでラサまで行きました。
 其処から2日掛りでシガツエに辿り着きました。

 ここはエベレスト山の裏側です。
 途中道が土石流で寸断され、自動車程の落石が路上にゴロゴロ

 崖道に柵は無く、遙か下の川原には落ちた車がパラパラ
 ボロバスの最後部座席板が外れて
 下の地面がよく見えます。酸素吸入袋は役に立ちません。

img400
(ここは4000m 走れません)

 ペルーの4000mハイウエーを走った経験のある方も多いと思いますが
 その辛さの比ではありません。

 恐怖がプラスされるからです。

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(チベット仏教寺院のスタッフ)

 シガツエのホテルに命カラガラ ヤット着いた時
 70代のご夫婦の唇は死人も同然のドドメ色。

 年寄りにはきつ過ぎるよ チベットは。
 もう行かんぞ 絶対に!。

 img395
 (ラサ市内 モニュメント)
 
 そんなこんなでラサまで帰って来て、ホテルのカラオケに遊びに行きました。

 シャオチェー(お姐さん)を附けるかと聞かれて
 そんなカラオケも有るのかと頼みました。

 中国人はABCも知らない人が多く、彼女達も英語は全くだめでした。
 其れではと中国語の歌を歌って呉れたり
 向日葵の種を一生懸命剥いて呉れたりしました。

 ディスコダンスやチィークダンスを誘われ
 先程のお礼にとジルバでクルクル回して上げました。

 こんな踊りは初めてだと云われ大変喜ばれました。
 若しかしてチベットでジルバを踊ったのは僕が最初かも。

 なんか嬉しくなりますね。
 但しご注意!。

sanso
(中国製 酸素ボンベ ほとんど効果がありません)

 30秒踊ると酸素吸入が必要になります。
 ここは3300m飲酒とジルバと散歩は厳禁です。

 夜中に高山病で何度も トイレでfade upする事になります。

 厳にご注意。


        それではまた後日。
        


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(陽気なチベットの御坊さん)

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2011年11月より
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