Blog Book of Captainyama

76ヶ国の海外旅行記です。 1999年からの世界旅行を2007年6月までのセブ島滞在中に ブログにしたものです。

雪の日の リラの僧院 ブルガリア

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 3月のある雪の日にリラの僧院を訪れました。

 世界遺産のテレビ番組で紹介され
 番組音楽の素晴らしさと相俟って
 是非行ってみたい海外旅行先でした。

 吐く息が白くなり、少し融けかかった雪道を歩き
 入り口のゲイトをくぐるとリラの僧院が有りました。

 アーチ形の外廊に入りました。
 白と灰色の模様の独特な色合いのアーチです。

 でも期待していた物とは何処かが違います。

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 何処なんだろう
 敷地を隈なく歩き建物を検証してみました。

 リラの僧院本体は幾度も火災に遭った歴史があります。
 幾度も修復を重ねて来た建物です。
 白と灰色の模様は当然
 石組みで造られた模様だと当り前に考えていました。

 ローマ遺跡だけでなく中世のお城遺跡もそうです。
 石組みアーチです。

 でもリラの僧院のアーチに有る二色の模様は
 塗料で塗って有りました。

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 創立当初は如何だったのでしょうか。
 火災後の修復で費用が無いから塗っちゃったのでしょうか。
 ガッーックリきました。

 テレビ番組がよく出来すぎだったのでしょうね。
 庭に薄く積もった雪で、雪達磨を創って置いて来ました。
 僕の芸術作品誰か見て呉れたでしょうか。

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(私の雪ダルマ)
                   
 ブルガリアは黒海に面しトルコと国境を接する小さな国です。
 ソ連に占領された旧社会主義国でした。

 イスラム教とキリスト教の宗教的境の国でもあったのです。

 あらゆるボーダーが存在した国なのです。
 詳しくは知りませんが
 サゾヤ大変な歴史を持って居るのだろうと思います。

 私の感想では
 ブルガリアは一寸変わっては居るけれど
 完全な西洋の小さな国でした。

 今回一緒に周ったルーマニアよりも
 遙かに西よりの文化の国でした。

 小さな国は体制変革後の立ち直りも速いですね。
 それとヨーグルト
 日本のブルガリアヨーグルトと全く同じ味でした。

 御土産にミニチュアールの絵を買って来ました。
 イランの細密画のようでブルガリア人の心の繊細さが分ります。

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 黒海に面した街でドナウ河デルタのクルーズをしました。

 この街の労働者住宅は
 ロシア型の五階建て住宅が多かったです。

 そして自動車の排気ガスで空気に色が付いていました。
 薄紫色でした。
 街を一時間も歩くと眼が痛くなり、涙が出てくるのです。

 そんなに車は多くないのですが
 社会主義時代に製造した自動車は
 排気ガス対策が全く無かったのですね。 

 自由・平等・人権の実現の為に創造された社会主義は
 制御出来ない権力の集中の、罠にハマって
 自ら崩壊したのですね。

 排気ガスが象徴しています。

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 (ブルガリア美人 美人が多いです)
           
 今回は二国を歩きました。
 ヨーロッパの外れで
 ドラキュラ伝説とチャウシェスク独裁で有名なルーマニアと 
 宗教・体制の境目の国ブルガリアです。

 此の二国は全く違います。

 繊細なブルガリア人に対して
 ルーマニア人は大雑把でロシア的粗暴さが感じとれます。
 韓国人と日本人よりも違いは大きいと思いました。

 ルーマニアからの帰国の際
 ブカレストからウィーンを経由して成田に帰る事に成りました。

 団体チェックインでカウンターに並び
 荷物は成田まで直行だと云う事を
 チェックインのスタッフに念を押しました。

 すると突然・・トツゼン・・突然です。

 女性のカウンタースタッフがキェーッと
 居合い抜きの気合のような声を上げ
 「成田だって言ってるだろう!」と現地語で一声怒鳴ったのです。

 その余りの迫力と突然の予想もしていなかった出来事に
 周りに居た30人の日本人一同
 声を失ってしまいました。

 モスクワを始め
 旧ロシア系の国境では
 女性の係り官にはヨクアル事なのです。

 暗闇からシェパード犬に突然吼えられたようなショックでした。
 ルーマニアは未だ旧態のロシアだったのです。

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 ( ドナウ河デルタの町の勤労者住宅 ロシア的団地です)
    
 斯うしてリラの僧院をみて
 黒海沿岸を楽しみ
 アチコチの田舎の風景や地元の人たちと触合い
 10日間は過ぎて行きました。


 この地域は修道院以外、然したる文化の蓄積も無く、
 バルカン半島自体が文化の果てる処
 だったと云う事を確認しました。

 是だけでも大きな収穫だったと思います。

 50ヶ国以上旅した人の行く所でした。


 追加で一言 ブルガリアの女性は美人が多かったです。
 本当です。
 証拠は下の写真です。 

 どうです 綺麗でしょう


   それではまた後日


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(レストランで見つけたブルガリア美人)
  

台湾 大陸とワンセットな楽しみ方

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(観光の民俗舞踊)

 台湾を7日間で周る旅。
 都市から郊外に出て田舎を走ると
 奇妙な風景にぶつかります。

 小さな小屋のような御店のような処に
 ミニスカートの綺麗な御姉さんが立って居るのです。

 それも一箇所や二箇所ではアリマセン。
 幹線道路沿いに沢山有るのです。

 あれは何ですかとガイドに聞くと
 「ビンロウ椰子の噛みタバコ売り」だと言います。

 流石中国人商人、やる事は徹底していると思い
 一つ買って試してみました。

 石灰に何やら赤いものが混ぜてあり
 其れを口に入れて噛むのです。

 やってみました。
 チョークと甘くない木苺を噛んでいるようです。

 ややすると口の中が熱くなり、堪らず吐き出しました。

 口を水で濯いでも歯や口の中は真っ赤でした。
ややすると身体全体がポッポと熱く火照って来ました。  

 二度と遣るまいと心に決めました。 ペッペッ 

 台北で本場台湾エステに行って来ました。
 可也高かったと思うのは私がケチなせいでしょうか。
 でも内容は凄かったです。

 バスで数人で出かけました。
 やや待って入った部屋は
 マッサージ室と云うよりも手術室でした。

 オプションを色々付けたので
 
 3人の先生がマスクを着け
 3台の移動ランプを煌々と燈し
 毛穴からピンセットの鋭利なもので脂肪を
 一つ一つ掻き出しているのです。
 
 痛かったー。

 世界中でマッサージを受けましたが
 台湾のエステは世界一徹底していました。
 凄かった。   
 でも、もう行かない・・絶対に・・楽しくない!

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(故宮博物院)
         
 故宮博物院に行きました。
 これがメインテーマです。

 北京は3回行きました。
 紫禁城は最高です。
 壮大な本物の中国の王宮です。

 でも、何も無い。
 中国三千年の宝物・美術品は何も無いのです。
 
 モヌケのカラです。
 革命時に台湾に運ばれ
 ここ台北の故宮博物院に展示されているのです。

 「翠玉白菜」ミゴトでした。
 感動しました。
 
 でも博物院はじめ
 台湾で中国に模した壮大な建物・建築物は
 皆セメント造りでチャチな物でした。

 石を刻んだ建築物は王朝だから出来た物で
 近代ではもう造れません。

 大陸と比較してワンセットで見ると面白いですね。
 台湾・大陸 一勝一敗でした。


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(圓山大飯店の客室ベランダからの景色)

 世界三大豪華ホテルと評判の圓山大飯店に泊まりました。
 凄かったです。

 天井が高い。
 ロビーだけで無く、客室の天井も高いのです。
 
 だから浴室・トイレの天井も高く
 浴室の広さだけで
 並のホテルのセミスイートルーム位あるのです。

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(圓山大飯店の客室・天井が異状に高い)

 こんな広い浴室は
 カナダのバンフ・スプリング・フィールドの
 お城ホテルしか知りません。

 国威を賭けた紫禁城のようなホテルでした。

 でもでも運営が悪い。 
 幾ら建物が立派でも客をゴミ扱いするのはルール違反。

 幾ら安く泊まらせていても客は客。
 朝の朝食時
 そんな狭い処に追い遣らないで呉れ
 御願いだから。
 
gaido
 (ガイドさん 日本にも仕事で来てください)
                    
 7日間お世話して呉れた女性ガイドさん頭良かった。
 ケシテ美人では無いけれど
 
 御尻が大きくて良いお母さんに成れそうな
 愛嬌のある人でした。

 台湾人の観光客を日本へ連れて行くツアーを
 幾度も自分で企画して実施したと聞きました。

 日本のツアーだと
 添乗員は付けても実施は
 現地旅行社にマル投げしています。

 彼女はガイドブックで日本を調べ
 例えば仙台のお祭りを主題材にして台湾人観光客を集め
 日本で観光バスをチャーターして自分で添乗します。 

 日本で三日間一緒に周った観光バスの運転手に
 「中国語巧いね、何処で勉強したの?」と
 真顔で聞かれたと云います。

 其れほど日本語が巧く
 日本で何処にでも居るお姉さんでした。

 若し日本で隣に住んでいたら
 誰も台湾人だとは思わないでしょう。

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 台湾は旧日本の植民地でしたが、
 対日感情はとても良く
 それも楽しく旅行できた理由の一つです。

 1944年大戦末期に
 米軍が沖縄の外に対日攻略の上陸地として候補に挙げたのは
 台湾とフィリピンでした。

 主要な将軍達が台湾を上陸目標に挙げたのに対し
 マッカーサーだけがフィリピン上陸に固執し押し切ったと云います。

 台湾は上陸戦無しで米軍が通過した処です。

 結果レイテを始めフィリピンで日本軍人50万人
 フィリピン人100万人の戦死者を出しました。

 でも若しフィリピンを跳ばして
 台湾で上陸戦が行われていたら
 
 台湾在住の日本市民や日本に同調する台湾人を含めて
 想像を絶する被害があったでしょう。


 そうなれば今の様な良好な対日感情など
 存在しなかったと思うのです。

 歴史の偶然ですね。

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(蒋介石の軍服・意外に小さい)

 カクシテ楽しい7日間はアッと云う間に過ぎました。

 ガイドさんが
 日本で如何しても馴染めなかったのは
 旅館の大浴場だと言います。

 同性でも他人に裸を見せるのは堪えられないようです。

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(夜の市場・東南アジアの匂いです)

 僕はビンロウ椰子の噛みタバコが堪えられませんでした。

 台湾南端のオーラン岬まで行き
 夏の暑い日差しと草の匂い
 台中の街で嗅いだ臭豆腐の匂い
 夜店の雑踏、昔何処かでみた懐かしいアジアの田舎の風景

 ツアー同行者の笑顔
 忘れられない人生のひとコマに成りました。

 若しかしたら
 旗を持って添乗しているガイドさんに
 日本で会えるかも知れませんね。

      

    それではまた後日


     

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(台湾 最南端)

アカプルコ発 セブ行き ガリオン船の旅


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(アカプルコの港です)

 
 アカプルコ発 セブ行き ガリオン船の旅 

 今の時代のツァーでは有りません。
 スペインが未だフィリピンを植民地にしていた時代の船旅です。

 大変だったでしょうね。
 貿易風に乗って数ヶ月かけてセブまでは来ても
 復路は難しかったらしいです。

 1565年に太平洋大圏航路が発見され
 (日本近海まで北上し黒潮と偏西風で米国大陸に至り
 カリフォルニア海流でアカプルコに戻る)

 之によりアジア貿易の拠点として
 フィリピンの価値が定まったらしいです。

 スペインにとってのフィリピンの植民地的価値と云うのは
 メキシコ植民地との中継点というだけだったようです。

 フィリピン植民地経営の損益計算書は
 300年間赤字だったと云います。

 搾取出来る物は無かった。

 港としてのマニラ、セブの有用性と
 召使の労働力だけだったらしいです。

 今でもそうです。

 フィリピンは海外就労者の本国送金だけで成り立っている国です。

 労働力だけが売り物の国なのです。

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(ロイヤルカリビアンの8万トンの豪華客船・レジェンド オブ シーズ号)

 2年前アカプルコに行って来ました。
 米国サンディエゴからの8万トン豪華客船での船旅です。

マゼラン時代のガリオン船は100トン前後でした。
これで太平洋を横断したのです。

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(アカプルコ博物館にあるマリア像)

 気象予報も無い時代で、命懸けですね。

 アカプルコのスペイン風要塞の中に
 アカプルコ歴史博物館が有りました。

 其処にはガリオン船の模型と一緒に
 上掲のマリア像が展示して有りました。

 是は僕達がセブやネグロス島でよく見かけるものです。
 メキシコとフィリピン
 交通も文化も繋がっていたのですね。


   img372
  (アカプルコ博物館の外観・旧アカプルコの要塞)

   アカプルコ博物館の動画をyoutubeにアップしました。

  動画のなかに当時のガリオン船の模型がでてきます。




toruso
(セブ島・サンペドロ要塞のインディオの頭部)

 上の写真はセブ島のサンペドロ要塞の
 チケット売り場に展示してある
 インディオの頭部のオブジェです。

 メキシコシティーに行かれた事が有る方なら分るでしょうが
 これはメキシコの博物館なら何処にでもある

 メキシコの特徴的オブジェです。

メキシコの物は数メートル有ります。
セブの物は50センチ程です。

ヤッパリ繋がっていたのですね。

 ピサヤ語やイロンガ語にもスペイン語が沢山混ざっています。
 現地の人が知らないだけです。

 アカプルコの要塞やマニラのイントラムロス程の規模は無いですが
 セブのサンペドロ要塞は
 キューバの要塞と同じ位の大きさが有ります。

 外観も内部もソックリです。

P1010353
(セブ島・サンペドロ要塞)
            
 日本は江戸時代に鎖国をしていた為
 スペインの影響を殆んど受けていません。

 セブのサントニィーニョ教会には
 スペイン来寇の絵が回廊に多数架けられて居ます。

 スペイン艦隊が来て村落が多数焼かれている横で
 宣教師による洗礼が行なわれている絵が数枚有りました。

 宣教師の身体を矢が透り抜けても
 不死身の宣教師は笑っている絵も有ります。

P1010457
(セブ島・サントニーニョ教会にあるスペイン時代の絵)

 フィリピンの人達は
 此の絵に義憤や疑問を感じないのでしょうか。

 フィリピンやアジアの歴史を見ると
 鎖国をしてキリスト教を排斥した日本の鎖国政策は
 間違いでは無かったと僕は思います。

  
 序でに
 フィリピンの名前の基になった
 スペイン皇太子フェリペ2世の顔御存知ですか。

 2年前ニューヨークのメトロポリタン美術館に行った時
 一階に胸像が展示して有りました。

 決して御利口な顔では有りませんでした。
 カメラが無かったので写せませんでした。

 先日検索中に
 その胸像の写真を掲載したブログを発見しました。

 写真権利者許可を頂きましたので掲示します。

feri
(ニューヨーク メトロポリタン美術館 フェリペ2世像)
 
  フィリピン人でもフェリペ2世の顔を知らない人が多いらしいので
 此の写真は貴重だと思います。

 セブ市は今、人口72万人
 マンダウエー市 ラプラプ市タリサイ市等6市を合わせた
 メトロセブ圏で130万人
 セブ本島で300万人

 セブ州で335万人の人口(2000年調べ)だと云います。

 マゼランも500年後
 セブがこんなに大きく成るとは考えて居なかったでしょうね。

 僕は今
 セブと云う歴史的にとても面白い処に住んでいます。

 纏まらないブログでしたが
 最後にセブ・サントニーニョ教会の
 スペインと宣教師による
 セブ襲撃 征服の絵を載せて終わりにします。

 左側で燃えているのがセブ原住民の部落です。

 手前には原住民の死体が転がっています。

      

P1010456


 それではまた後日


park tower 防災訓練 セブ フィリピン

PICT1926

  
 コンドミニアム パークタワーで防災訓練が有りました。

 フィリピンは銃器・火薬が犯罪に使われる国。
 防災訓練も爆弾テロを警戒したプログラムが有ります。

 予定の朝9時30分
 地下駐車場入り口で大量の爆竹を炸裂させ
 バンバン ドッピューン ボカボカボカ。

 驚いて窓を開けた住人に対し
 「早く降りてきて訓練に参加して下さい!」と呼びかけ
 階段を使い住人が降りてきました。

PICT1934
(爆弾を予想した訓練)

 フィリピン人は訓練なんかカッタルクテしません。
 嫌々降りてきたのはフィリピン人。

 時間前に集ったのは欧米系白人 韓国人 
 日本人は僕一人でした。

 此処は高級コンドミニアムなので住人の7割はハウスメイドです。
 サーバント多数が参加しました。

 此処アヤラ地区は
 アヤラセンター、シティースポーツクラブ、パークタワーを含め
 セブホールディングが開発した商業・ビジネス地区です。

 防災訓練はセブホールディングの車両・関係者多数が参加しました。

PICT1951
(訓練スタッフ)

 責任者が訓練の説明を始めるのですが
 言葉は英語 タガログ語 ピサヤ語で三回繰り返すのです。

 結局、英語とピサヤ語に落ち着きました。

 ハウスメイドは英語が出来ません。
 ミンダナオ島から来ている娘が多いですから。

 フィリピン複雑ですね!。

PICT1916
                    
 消火器を数台使いメイドさんに消火させます。
 メイドさんは楽しそうです。

 am10時に成るとスタッフは無料の食事を始めました。
 何か楽しみがないとフィリピン人働かないねー。
 外国人の方が真剣に参加しています。

 如何いう訳か最近フィリピンは大火が続いています。
 マニラもですがセブでも毎週大火事が有ります。

 不法占拠者地区が多い為
 密集した木造の家屋が多いのです。
 
 家屋と云う言葉では表現出来ない家です。
 トタンとボロ材木とベニヤと椰子の葉を編んだ壁パネルと
 一個5円の安ブロックで作った寝床だと思って下さい。

 天井は卵の空ケースや
 新聞紙にビニールを合わせた物だったりします。

 当然、路地は1m幅程の処もあり、車は入れません。

PICT1922

 電気は盗電だったり超タコ足の配線です。
 水道もタコ足です。

 此処に都市人口の80%の人が暮らしています。
 セブでもマニラでも。

 
 フィリピンの田舎は広々として水牛が歩き
 空気はきれいで椰子の木が繁り
 海は青く、山は緑で、人は優しく

 時間がゆっくりと流れています。

 僕達、外国人が好きなのは斯ういうフィリピンです。

 でも其処で生活する人達は子供の教育 車やガソリンの購入
 電気や電話のある生活に憧れ
 現金が必要なのです。

 病気に成っても医者代も無い生活は厭なのです。
 
 現金 現金 現金、
 フィリピンには現金さえあれば
 全ての近代的 便利な商品が溢れています。

 テレビのコマーシャルは優雅な生活を流し続けています。
 現金 現金 現金さえあれば。

PICT1940

 フィリピンと云う国は
 歴史の発展段階で言うと
 封建制まで到達していない「形を変えた奴隷制社会の段階」なのです。

 だから腎臓が売られているのです。
 学歴と能力がある人は外国に働きに行けます。
 彼等はエリートです。

 でも人間の輸出です。

 都会の親戚を頼って
 マニラ セブの都会に働きに来た人達の住む処はそうです。
 スクワッターエリア(不法占拠者地区)なのです。

 天国の田舎から地獄の都会へ。

 日本でも同じかも知れませんね。
 世界中そうです。

 そしてフィリピンでは大火事があり
 多数の子供達が逃げ遅れて焼け死ぬ!。

 紙と草とベニヤで出来た密集地帯の中で!

                 
 
 何かシテアゲタイと思っても、其処に手を入れたら、大変な事に成るのです。

 
 本当に大変な事に成ります。
 フィリピンはとても歴史の浅い国です。

 自分達の国は自分達で起していく
 克己心が、未だ育って無い人達には
 時間だけが必要なのだと僕は思います。

 防災訓練から何でコンナ暗い話に成ったのでしょうね。
 最近の大火事からでした。

 朝の爆竹から始まった防災訓練は一時間程で無事終りました。
 
 防災訓練楽しかったです。
 明日は何の訓練遣りましょうか。

 今日もセブの空は青く晴渡っています。
 三月・四月は一番暑い季節です。
 ジリジリ焼付く太陽の下で一時間

 今日も日焼けしてしまいました。

 金は無くともセブアノの顔は明るい
 太陽のような笑顔、今日の蒼空とおなじです。


PICT1930

            それではまた後日


真岡郵便局跡を訪ねて エスタ・スターレイ・ポチタ サハリン

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(旧真岡郵便局跡から港の方向を望む)
  

 旧日本領土サハリン
 稚内港からフェリーを使いコルサコフに渡りました。

 日本に一番近い外国ロシアです。
 津軽海峡とほぼ同じ距離があります。

 州都ユジノサハリンスクに宿を取り7日間滞在しました。
 ホテルの傍にはガガーリン公園があり
 滞在期間中、幾度か散歩を楽しみました。

 人口に比べると可也大きな公園です。

 舗装された区域は余り無く
 柔らかい土の感触を足の裏に感じて歩きました。

 大人の娯楽が余り無いロシアでは
 子供と一緒に家族で楽しめる公園に
 国の予算が使われているようです。

 公園内には規模は小さいですが子供用のゴンドラ等多数ありました。

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(コルサコフの港)

 港町コルサコフでも丘陵の上には市役所があり
 其処から南北に並木道が走り
 両脇には市民が利用できる御店が並んでいました。

 緑に茂る並木の下を
 乳母車に赤ちゃんを載せた若い綺麗なお母さん達が歩き。

 笑いながら世間話を交わしている姿は
 何処の国でも同じで清々しいなあと思いました。

 海側の低地には工場地帯があり
 丘陵の上には5階建て程のアパート群が並びます。

 ニューヨーク・マンハッタンのハドソン河岸のような高さです。
                 
 コルサコフからユジノサハリンスクに返る途中
 30㌔程の道のりですが、起伏の多い地形でした。

 大きな坂を降り丘を登り上がった処で警察に停められました。

 警察官は2人で
 一人は坂を降って来る最高速度の地点でスピードガンで速度を測り
 他の一人は一台於きに車を停車させます。

 勿論全車がスピードオーバーです。
 そして罰則金をその場で払わさせるのです。

 ナント領収証はありません。
 見ていると嫌々ながらも、警察に表立って反抗する人は居ません。

 運転手に聞くと『これがロシアスタイルだよ』と言いました。
 マフィア大国ロシアでは警察も最大のマフィアの一つです。

 罰則金が誰の懐に入るのか、興味深いところです。

yuji
 
 ユジノサハリンスクで
 一番大きな建物はサハリンエナジー社の建物です。

 10階建て程で
 4ha程の敷地に真新しい巨大なビルがそびえ立っていました。

 映画館は数軒あり
 ハリウットの最新作もロシア語吹き替えでやっていました。

 入場料はロシアとしては可也高かった様に記憶しています。
 多分10ドル位です。

 それでも映画館は半分以上の客入りです。

 デパートも数軒あるのですが
 広い敷地のなかに道を走らせ
 小屋のようなブースを30軒ほど造り
 野外マーケットのような商業スペースがあるのが特徴です。

 鉄道駅の西側には可也大きな食料品屋外市場がありました。
 其の近くには衣料品の屋外市場もあります。

 経営者には朝鮮半島出身者が多かったです。

 
img249
(コルサコフ市役所・レーニン像があるのは中央アジアとロシアでも極東だけです)

         
 ガガーリン公園を散策している時
 75歳だと云う老紳士に会いました。

 日本人だとばかり思っていたのですが
 朝鮮半島出身者だと言いました。
 日本語は完璧です。

 彼は戦後サハリンに残り
 新聞記者として生計を立て
 ロシアジャーナリスト協会の正会員にまで成ったと言いました。

 退職する頃「日本の援助?」で朝鮮半島出身者の
 韓国への帰国支援プログラムに応募し
 
 今は韓国で暮らし
 息子達が暮すサハリンに
 年に2回程里帰りするのだと言っていました。

 北朝鮮関係の仕事もあり今は悠々自適の生活のようです。

 何故、戦後朝鮮人は
 直ぐに帰国出来なかったのか聞いてみました。

 彼が言うには朝鮮動乱が起き
 その後の紛争が続くなかで、ロシア政府は

 統一後(北朝鮮への統一)の朝鮮へ朝鮮人を送還する方針を持ち
 今に至ってしまったと言いました。

 彼にはその後ユジノサハリンスク市内で何度か邂逅し
 彼も僕もお互いを少し警戒していたので
 会釈以上の関係は出来ませんでした。
                 
 さて本題の真岡郵便局跡を訪ねる旅です。

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(宿泊したホテル ガガーリン公園の近くにあります)

 ホルムスクに出発する当日の朝
 ホテルの朝食レストランで日本人を見かけました。

 40代のポッチャリ顔の彼女は
 日本からの団体を率いて来たガイドでした。

 朝の忙しい時間で誠に申訳ないとは思ったのですが
 真岡郵便局の場所を聞いてみました。


 以前行ったのは大分前の事で
 出店が沢山出ていて分かり難い場所だったと言います。

 此れから探しに行くのなら、ロシア語を教えてあげると言いました。

 エスタ・スターレイ・ポチタ 
 (古い郵便局は何処ですか?)と云う言葉でした。

 エスタは何処、スターレイは古い、ポチタは郵便局です。
 但し僕の記憶に間違いが無ければですが。

 笑顔の可愛い北海道弁のガイドさん有難う御座いました。

 かくしてチャーターした車で
 ホルムスクまで1時間のドライブをしました。

 ユジノサハリンスクから海岸部のホルムスクまで
 緩い峠を走り貫けるのですが
 峠にかかった頃から霧が出始め雲の中を走るような感じでした。

 途中、熊笹峠辺りから海岸部が覗けるように成りました。
 辺りに家は無く、住宅はホルムスクの町に固まって存在しました。

 コルサコフと同じく此処も丘陵の町です。
 
 海岸部に港湾荷上げ関係の広大な施設が展開し
 フェリーターミナルが有り
 舗装道が丘の上にと続いていました。

img257
(真岡郵便局跡地)

 現郵便局のある丘の上で幾人かに聞いてみました。
 30分ほど聞き廻って分かった事は郵便局は何度か移転しており
 一つは数十年前火災で焼失したとの事でした。

 その郵便局跡は丘の下にあると云います。

 車で丘を降り海岸部の小さな花屋さんに聞きました。
 花屋さんは傍の建物を指差しました。
 上掲写真・9階建ての建物がそうです。

 フェリーターミナルから北に300mの位置に有りました。
 直ぐに分ります。

 火災の後、此のビルが建ち一階は銀行が入っています。
 前庭は200坪程ありました。

 此の庭が真岡郵便局跡なのです。

 此の庭から海側をみると頭掲の写真になります。
 ガイドに聞くと慰霊の碑では無いと云います。

 日本人から見ると意味のある真岡郵便局跡も
 ロシア人には全く・・マッタク関心が無い事なのです。

 ロシア軍が自らの血を流し
 日本軍国主義者から奪い返した領土
 それがサハリン、遙か昔の事なのです。

 日本時代と云う言葉を多々聴きました。
 軍事力で他国・他民族の土地を奪い取っていく事を
 軍国主義と言います。

 日本は全く其の通りでした。

img262
(熊笹峠にある対日戦勝記念碑)

 でもロシアが1945年以後やった事も全くの軍国主義なのです。

 ただ世界社会主義革命という美名で隠していただけなのです。

 此の事をロシアの人達は分っていませんし
 分ろうともしません。

 唯、現在の経済的危機の現実だけは認識しています。

 やがてロシア経済も回復する時が来るでしょう。
 其の時世界に如何いう影響を与えるのか危惧するところです。

 僕はロシアの事を語ると熱く成り過ぎるようです。この位で。

 エスタ・スターレイ・ポチタ 如何でしたか。
 日本に一番近いヨーロッパ ロシア。

 もっと簡単に安価で行けるようになれば
 相互理解は進むかと思うのですが。


 一見の価値は有ります。
 夏にパックツァーが有ると思います。
 貴方も如何でしょうか。

 
 エスタ・スターレイ・ポチタと言ってみてください。
 
          

   それではまた後日


    

 
 真岡郵便局を訪ねたビデオをyoutubeにupしました。御参考にして下さい。


img235
(ユジノサハリンスク駅前公園に建つレーニン像)

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