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(板門店の北朝鮮兵士)

 韓国の太陽政策が最盛期の頃北朝鮮に行った事が有ります。

 旅はチャンスでここぞと云う時に迷わず行かないと
 前後で扉は閉まってしまいます。

 此の時は近畿日本ツーリストの主催で行きました。
 名古屋空港を離陸し
  ピョンヤン空港着陸に向け高度を下げ始 めた機内で
 動揺が起こりました。

 『オイ、此の国変だぞ、車が全く走ってないぞ!』
 誰かが騒ぎだしました。

 綺麗に整備されたコンクリートの道に
 自動車が走っていないのです。

 機は着陸し窓から空港ビルが見えました。
 ドアが開きました。

 其処で云われました《後ろの席の人から降りて下さい》
 モラルが大事なのです。

 かくしてドア最前列の乗客はぶつぶつ言いながらも
 最後まで待たされる事となりました。

 この飛行機、古くてエアコンが壊れており
 団扇が座席に備えてありましたが

 トイレの便座はステンレス製でピカピカに磨いてありました。

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(ピョンヤン空港)

 到着第一日目は強烈なカルチャーショックを食らいました。

 ホテルは市内中心の羊頭角ホテル、河洲に建つ立派な施設です。
 日曜日、テレビ番組は2つだけ、ドラマ番組を視ました。

 戦前の朝鮮半島

 日本人の中学生から殴る蹴るの暴行を受け
 失明の傷を負った美しい女学生が家族・友人・医者の温かい介護で
 視力を取り戻していくと云うストーリーでした。

 日本は憎まれているんだ!。

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(羊頭角ホテルからピョンヤン中心部を望む)

 同行者の女性が
 マッサージを取ったと言うので聴いてみました。

 『料金は三千円だが、貴方は日本人だから六千円だ』
 と言われたといいます。
 
 日本はまたまた憎まれてるなあー。

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(北朝鮮側から板門店を望む)

 翌日、板門店に向かいました。

 60㌔の道程、出会った車は5台だけ。
 ソウルの自動車地獄と排気ガス汚染は何なんでしょう!。

 戦争記念碑を見に行く時も隊列を組んで歩かされました。
 道を曲がる時、最後は矢張りバラバラになりました。

 開城でみた兵隊は子供かと思う程みな小さかったのです。
 男で160㎝程度。栄養状態が恒常的に悪いのでしょう。

 板門店の北朝鮮兵士は180㎝平均、見栄張ってるねー。

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(子供達が一生懸命オルガンを弾いてくれます)

 三日目、小学生の英才教育学校を訪問しました。

 孫のような子供が一生懸命アコーデオンを弾き歌って呉れます。
 最後の『アリガトウございました』の子供達の合唱に
 
 一同、堪え切れずに涙しました。

 夕方、ホテルより丘の斜面に群居する勤労者住宅を見ていました。

 夜8時より点燈が許されているとの事です。
 果たして如何にと見ていたら。

 7時半からの点燈が1~2%程、8時に20%、8時30分に70%
 ヨーシまずまず合格!。
      
 ホテル20階から工場が見えました。
 全く稼動していません。

 自動車はベンツが有りますが殆ど走っていません。
 市内電車はあります。

 発電所らしき煙突もありますが
 黒煙が立ち、燃料の質の悪さが解ります。
 石油が無いのです。

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(巨大なピラミッド型ホテル 頂上部が未完成です)

 市内中央に建つピラミットのような巨大ホテルは
 上部5~6階部分が未完成で放置されていました
 セメントが無いのです。

 この街はモスクワのミニチュアです。

 中心部のオフイス街、地下鉄
 国立サーカスの建物の位置までソックリ其の儘モスクワと同じです。

 地方のホテルに在った枕元の施設案内書も
 最初の外国語はロシア語で書かれていました。

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(小学生がマスゲームの練習をしていました)

 現在、社会主義国は3ヶ国、ベトナム・キューバ・北朝鮮だけです。
 中国を社会主義国に数える人は居ないでしょう。

 何れも米国と戦い負けなかった国ばかりです。
 ソ連崩壊の影響はキューバにも大きいですが
 カリブ海社会主義は陽気で、深刻には思えませんでした。

 ベトナムはアジアの国としてユックリ発展しています。

 日本にソックリな国、北朝鮮が一番苦しんで居る様に思えました。
 優秀な国民です。
 道徳の主体思想を持っています。

 国難を乗り越えようとする国民の意気は盛んです。

 しかし如何せん世襲の指導者が悪すぎました。
 優秀な社員を抱えた同族会社のようなものです。

 破滅的結果を導きだす前にゴルバチョフのような
 良頭が現れるのを期待したいと思います。 
           

   それではまた後日
       


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(市内中心部にいた北朝鮮軍の女性兵士さん 純朴そうです)