(国立博物館のHPから画像を御借りしています。竜首水瓶 )
国立博物館の法隆寺献納宝物で国宝の竜首水瓶が好きで
幾度か観に行った事が有ります。
素晴らしいデフォルメ ペルシャの文化
シルクロードのロマンチズム
毎回ワクワクして観た事を覚えています。
どの時代の人が見ても素晴らしいと思える逸品
ペルセポリスを出発した隊商が
中央アジアを越え敦煌を越え唐の都
長安まで大事に抱えて運び
また来た道を引返して行ったのでしょうか。
三蔵法師の様な困難を乗り越え!。
幾年も掛る壮大な旅とロマン、素晴らしい。
僕はそう思っていました。
(イラン東部の都市 マシャド)
2001年機会が有って2度イランに行く事が出来ました。
最初はテヘランから西を歩き
2度目はトルクメニスタンから国境を越えてマシャドに入りました。
(バス後輪から出火 高速道路で停車し消火しました。テヘラン)
テヘランまでの約800㌔を3日掛けて走り抜けました。
相変わらずのボロ車でやっとテヘランに着いたと安堵した途端
市内ハイウエーで左後輪付近から火を噴き
後ろを走っていた親切な自家用車の運転者の人達の
協力でなんとか火を消し事無きを得ました。
(写真掲載)イランの皆さん有難う御座いました。
(マシヤド⇒テヘラン こんな風景ばかり 遺跡が沢山ありました)
マシャドを出てからはズーッと砂漠 砂漠 さばく 砂漠。
道の両脇は枯れ草、ヒナゲシも多かったと記憶しています。
そして5~10㌔於きに
可也大型のキャラバンサライの遺跡 遺跡 いせき 遺跡。
こんなに隊商宿街(宿場町)が有ったと云う事はキャラバンは
当時、ペルシャで一大産業を生していたのでしょう。
(整備工事中の大きなキャラバンサライ 入口)
遺跡修復が進んだキャラバンサラ(隊商宿)が有り入ってみました。
町は可也大きく千人位が宿泊出来たと思われる設備があり
サライ内には商売が出来る
臨時のスペースと云う物が有りました。
(この段の上 1坪程が隊商商人の商品展示スペースです)
1m位高くて畳2畳程の広さ。
もし僕が商売人なら
八千㌔~1万㌔も旅をして唐まで行くでしょうか。
こんなに宿場町が有ったなら精々500㌔10日も旅をして
宿で物々交換した方が
安全で効率的な商売が出来るのではないのでしょうか。
そうだ!
品物だけがリレイで運ばれ、人は同じ処を往復していたんだ!
現代の運送業だってそうでしょう。
(かなり広いキャラバンサライでした)
そう思うとロマンチィズムが半減しました。
僕達はテヘランの後、カスピ海までイラン高原を駆け下り
ロシア人との混血のペルシャ人を多く見て
(カスピ海 大型貨物船も沖合いに見えました)
フィリピンの様に蒸し暑いイランを経験し
27日間の長い旅行を終えました。
此れも西遊の旅行で個性の濃い参加者
濃い旅行内容で些か疲れました。
それではまた後日
(27日間 シルクロード走破 石川女史 イラン側スタッフと 西遊)