(RPC 2706 セスナ172 キャプテンビゴテ氏と仲間達)
初めて僕がセブを訪れた時、そうもう5年程前
ミンダナオのブトゥアンにいく用が有り
旅行会社の紹介でトップフライト・エアウェイズ(現在 CEBU TOP)を
エアータクシーとして利用しました。
セブ⇒ブトゥワン120nm(220㌔)
空は晴れて何処までも青・青・アオ・青。
カミギン島には雲が架かり6500fの空は雲の上。
操縦桿を初めて持たせてもらい右に左に雲の隙間を滑らせました。
照付ける太陽からはワルツが聴こえて来るようで
セスナ172は力強いエンジン音を響かせます。
雲の絨毯を滑る浮遊感
雲の切れ間を右旋回して降下すると
ミンダナオ島の山々が見えて来ました。
此れが最初の操縦経験でRPC-2706との出会いでした。
此れが縁で機長・社長のcaptainビゴテと知り合いました。
(ビゴテとはイロンガ語で髭の意味です)彼は日本人
でも心意気は半分フィリピン人です。
そうです《captainビゴテ》はアミーゴだったのです。
・・・ここでラテンの音楽を流す・・
僕は100時間(1年)かけて実力で、操縦士免許を取りました。
実力が実力であるが為に大変に大変を重ねましたが
それは本が一冊書けるネタです。
勿体無くて今は書けません。
かくして
ヘナチョコ素人パイロットcaptainyamaが誕生したのでした。
captainビゴテはセブのパイロット仲間では非常に有名な人で
(僕は彼の最初の弟子だ!)と言うと
『彼は凄い、入道雲が在っても真直ぐに突っ込んで行くグレイトだ』と
皆口を揃えて言います。
そうです彼は雲入り名人だったのです。
免許を取ってから後サマール島のギワンにクロスカントリーした時
燃料給油しながら6時間飛び
4時間ちかく雲の中と云うフライトをしました。
僕の単独飛行なら4回死んでます。
・・ゼッタイに!自身を持って!・・
(ギワン空港 事務所)
場所はレイテ海戦・西村艦隊が全滅した処、
ギワンは最初の特攻隊が突っ込んだ直ぐ側
雲の切れ間から覗くホモンホン島
高度300fで初めて確認出来る海上
海面からは(御出で・オイデ・おいで)と手を伸ばす
旧日本海軍の英霊達、
『待ってくれ・もう少し飛ばせて呉れ』と念じつつ
ギワン空港に滑り込みました。
4時間
余裕をかます教官captainビゴテの頬は引き攣り
冷汗タラタラ。
僕は顔面蒼白でした。
此の時判りました、彼は天才だったのです。
雲・気象を本当によく知っていました。
彼は最後まで死にません 決して諦めません。
例え死んでも一番最後に死にます。
パイロットにとって之が一番重要な事なのです。
今後僕が悪天候に巻き込まれた時
若し生還出来たら彼に最初に感謝しようとその時思いました。
(RPC2706 フィリピン人の陽気なインストラクターと)
昼飯は未だか・腹減ったって・・ ゴメンナサイ忘れてました。
セブの北60nm(108㌔)セスナで40分の処に
白砂の楽園バンタヤン島が在ります。
マニラからは時々直行便があります。
セブからはバスで行くしか有りません
一日掛けて、埃に塗れて。
そこをセスナで昼食・ひとっ飛びです。
captainビゴテ、ビーチクラブに予約の電話を入れてます。
「ライスと豚とサラダとスープ2人前用意してね。
違う・違う ソープじゃ無くてスープ スープ
石鹸なんか食ったら泡吹くよー」
フィリピンはソープとスープは同じ発音です。
アミーゴ captainビゴテのラテンな漫才が続きます。
セブの珊瑚礁、上空800fから如何ですか。
それではまた後日
バンタヤン島サンタフェ空港でのタッチアンドゴー訓練の動画をyoutubeにupしました。御覧下さい。