(ホーチミンの元大統領官邸 現在 博物館)
ベトナムに未だ観光ビザが必要だった頃
南北に縦断をした事があります。
僕の青春時代にベトナム戦争があり
米国の敗退に拍手した立場から
是非行って見たい国の一つでした。
何故ライオンが鼠に此処まで手古摺り、不名誉を被り
後の米国経済の凋落を招いた原因を造ってしまったのか?。
テーマが大きすぎてトテモ僕の手には負えません。
当たり前 ・・か
(奇景 ハロン湾 映画007にも出てきました)
ベトナムは海に張り付く様にして南北に細長い国です。
先ずハノイに行きました。
飛行機は霧が出て、何度も旋回してやっと降りました。
お百姓さんは三角の笠を被り
モッコを担いで作物を運んでいました。
エーッ本当に未だコンナ事遣ってるんだ。
タイでも見なかったゾ こんな事!。
其れもミンナがそうでした。
そしてリズムが速い エイトビートでは無い、そう16ビート。
面白い事に南下してダナンに行くと8ビート
ホーチミンに行くと4ビートに成るのでした。
ハノイでは働き過ぎで農民の過労死が有ると云います。
私見ですが中国系の顔は北部に多かったように思います。
(ベトナム人はアオザイがよく似合います)
ベトナム人は民族的にはマレー系で顔が小さく
小柄ながら足が長い
そうアオザイがぴったりと身体に合う体形です。
公務員や高校生が制服としてアオザイを着用している為
アオザイはポピュラーに存在しました。
観光客にとって有り難い事でした。
日本のホテルでも着物如何ですかねー。
中部の古都フエを観光すると
此の国に中国的な永い王朝時代が有った事が解ります。
交易の要が船だった頃には
長い海岸線は大変な財産だったのでしょうね。
南下するに随って中国色が薄れ
東南アジア色が強まりホーチミンは
バンコックと台北を足した様な町でした。
・・一体ドンナ町ダイ?!
ベトナム戦争に従事した米兵はフィリピンに暮らし
サイゴンに出張し
パタヤで遊び、中国文化と戦ったのでしょうね。
ハノイのべトコンはフィリピン人のように
直ぐに逃げては呉れなかったと云う事です。
(古都 フエ)
ベトナム戦争の終結時
膨大な数の南ベトナム人兵士達は何処に逃げたのでしょうか。
米国は勿論、カンボジアに、フィリピンのパラワン諸島に
そして世界中に!。
そんな兵士の一人にアラビアのイエメンで巡り遭いました。
なんでイエメンなんだ!。 僕も思いました。
彼の父親がイエメン人だったと云います。
へーそんな事も有るのかい?。
終戦時19歳の南ベトナム人兵士だった彼は
兎に角、先ずは英国に渡ったと云います。
そして騙され・売られて転々とし漸くイエメンに辿り着き
観光ガイドとして働いていると云いました。
彼の案内でイエメンを一周し
サヌアの彼の大きな家には奥さんと子供も居りました。
やっと掴んだ幸せ・平和・安息。
其々のベトナム戦争、其々の平和、其々の人生。
ベトナムの事を語る時
小柄で表情の少なかった彼の顔を思い出します。
(中央の人物がベトナム人ガイドです・イエメン サヌアで写す)
それではまた後日