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(エンリケ航海王子の大航海記念碑)

        
 
 リスボンに有る
 エンリケ航海王子の大航海記念碑を見ました。

 港の湾口近くには
 ポルトガル人船員マゼランも見たであろう
 白亜のべレンの塔も有りました。

  ポルトガルの港町
 ポルトー リスボンと見て来て
 何か懐かしい風景に出会った様な気がしました。

 何処で見たのだろう・・其れはセブでした。

 セブのコンドの窓を開くと
 セブの港湾とマクタン島が見えます。

 僕は今
 マゼラン終焉の地フィリピン・セブ島に住んでいます。

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(コンドから見えるセブ港・水路の向こうがマクタン島)

 1521年太平洋を横断しきったマゼランが
 香料諸島やインドに急がず

 何故マクタン島征圧に走り
 片足が悪いのにも拘らず遠浅の珊瑚礁に下り

 海岸に足を捕られ
 現地土民に殺される愚を冒したのか。

 答えは港湾としてのセブの地形にあったのだと思います。

 当時の大砲の射程は精々1㌔

 港防衛には対岸距離1~2㌔の
 水路のような港湾が要求されていたのです。
 インドのゴア然り・イスタンブール・リスボン然りです。

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(ポルトガル・ポルトーの港)

 マクタン島はセブ本島との間に
 最短1㌔の水路が5㌔に渡って走って居ります。

 当時の軍事常識からすると稀に見る良港だったと思います。
      
 フィリピンでは最小行政単位を
 バランガイ(少し大きな町内会)と云います。

 町内会長をバランガイ・キャプテンと呼びます。

 圧倒的火力で此の一帯の酋長を恭順させたマゼランに対し
 マクタン島の酋長 町内会長 バランガイキャプテンの
 ラプラプだけは臍曲りで首を縦に振りませんでした。

 業を煮やしたマゼランは
 『この土人成敗してくれる』とばかり桃太郎侍の様に

 ヴィクトリア号他 計3隻のガリオン船から
 マクタン島のラプラプ拠点に目掛けて
 大砲をバンバンバンバンバッババンと撃ちまくったが届かず。

 (現マクタン空港滑走路口辺りだと推測
 ここは今でも1㌔程の超遠浅の珊瑚礁地帯です。
 全長26m・排水量90tのヴィクトリア号でも近づけません)

 功を焦ったマゼランは船を降り
 鎧姿に抜刀し
 膝まで海に浸かり岸に向ってウオーッと歩きだした。

 待ってましたとキャプテン・ラプラプ
 海の中ならコッチが有利とばかりバッバッバッと弓を射ち
 手下大勢で迎え撃ち
 マゼラン以下多数のスペイン船員を討ち取ってしまったからさあ大変!
 (講談調で書いてます)。

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(英雄ラプラプの像・マクタン島、マゼランが討取られた場所にあります。
隣にマゼランの墓のような記念碑があります)

 此の後、主を失った艦隊は迷走し
 スペインに帰還できたのは僅か18名だといいます。

 一方勝ったラプラプは如何したかって?。
 程なく他の酋長の騙まし討ちに遭って
 亡くなったと伝えられて居ります。

 残念 無念 
 但し彼の名前はマクタン島の町の名《ラプラプ市》と
 高級大魚《ラプラプ》の名として残り

 数少ないフィリピンの英雄として尊敬を集めて居ります。
                    
 新航路の発見と
 世界周航の世界史的名誉を与えられたマゼラン

 供に散って逝った多くの船員
 残された家族
 凄まじい時代・大航海時代。

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(坂の多いリスボン市内  ファドが聴こえてきそうです)

 リスボンの旧市街でファドを聴きました。
 大航海時代を支えたポルトガルの演歌です。

 マゼランも居た町リスボン
 ゼランも送り出したべレンの塔
 マゼランも聴いたであろうファド、曲りくねった坂の旧市街。

 みんな消えていった歴史。

 僕は今、家の窓を開けて明かり瞬くセブの街を見ています。
 マゼランも見た海と夜空と椰子の木を!

 バン バン バッバン 突然爆竹の音  

アノーどうでも好いけど窓の下で爆竹鳴らすのヤメテ呉れない!
 
 折角ロマンチックに浸ってるんだから 
 マゼラン退治の戦勝記念の爆竹  かな・・かな
             

           それではまた後日
       


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(リスボンとべレンの塔)