(サンダカンの日本人墓地 よく整備されていました)
マレーシアのサンダカンと云えば《サンダカン八番娼館》で
一躍知られる様に成った処。
日本人のコロニーが有り、それも100年も前から。
4年前フィリピン ミンダナオ島のダバオに行った際
日本人墓地に参る機会が有り
墓碑を見ると明治の年号
札幌の墓地の年号も明治20年代が最古です。
開国後の50年の間に
日本の民間人が爆発的に国際化していった事の証明でしょう。
一方は領土として残り他方は大戦後に一掃された。
地球儀を遠くにして眺め、日本にスポットライトを当てた時
此の100年のアジアの歴史は
特異な《日本の時代》だったのだと思います。
日本が主役と成る時代はもう二度と来ないかも知れません。
そのサンダカン行って参りました。
(丘のうえから遠浅の港がみえます。 サンダカン)
僕の住むフィリピンで(コタキナバル)と云えば危ないイメージの処
ムスリムの地域、貧乏、テロリストの基地、何でソンナ危ない処に?。
と言われました。
でも危ないのはフィリピンの方が
ズート・ずーと・ズッーゥッと危ないんじゃないですか。
マニラの人にセブに来ませんかと言うと
ピサヤはゲリラが居て危ないからチョット・・と言われました。
でもマニラの方がズット・ズット・ズッーと危ないんじゃナイデスカ!。
要するに他に行った事が無いから知らない
テレビの報道を鵜呑みに信じている訳ですねー。
何処の国でも報道が一番の大嘘つきです。
ハイ、此れ世界の常識です。
(コタキナバル 高級リゾートホテルのテラスから絶景の湾が望めます。早朝には奥にキナバル山も見えます。ルームサービスで朝食)
コタキナバルにはシャングリラ級の高級リゾートホテルが5~6個あり
清潔さではセブなど足元にも及ばないと思いました。
道路は質の良いコンクリートで舗装され
分譲住宅の質も良く値段もセブより安く
治安に問題があるとは思えませんでした。
違法に入って来るフィリピン人こそが治安のネックだと
マレイシアの人達は思っているようでした。
ナント云っても石油の採れる国は強いと云う事でしょうね。
(キナバル山 4095m)
次いで国内線の飛行機でサンダカンに移動しました。
キナバル山の南を通り、丁度1945年(死の行進)が有った真上です。
可也の部分が開墾され椰子の樹が規則正しく植樹されていました。
サンダカンは遠浅の港町でした。
丘の上に中国寺院があり港に魚市場があり
セブのカルボン市場よりは衛生面・治安面で上の様に思えました。
でも可也臭かった。
旧市街の建物は古い物が多かったです。
アジアですねー。 そのとうり! アジアです。
(正面が魚市場 サンダカン市内)
此処の観光客は英国人 オーストラリア人です。
旧英国植民地です。
彼らと一緒にオラウータンを見に行き楽しく旅は終わりました。
サンダカン⇔セブ僅か800㌔なんですね。又行きたいと思いました。
それではまた後日