Blog Book of Captainyama

76ヶ国の海外旅行記です。 1999年からの世界旅行を2007年6月までのセブ島滞在中に ブログにしたものです。

ロシア

真岡郵便局跡を訪ねて エスタ・スターレイ・ポチタ サハリン

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(旧真岡郵便局跡から港の方向を望む)
  

 旧日本領土サハリン
 稚内港からフェリーを使いコルサコフに渡りました。

 日本に一番近い外国ロシアです。
 津軽海峡とほぼ同じ距離があります。

 州都ユジノサハリンスクに宿を取り7日間滞在しました。
 ホテルの傍にはガガーリン公園があり
 滞在期間中、幾度か散歩を楽しみました。

 人口に比べると可也大きな公園です。

 舗装された区域は余り無く
 柔らかい土の感触を足の裏に感じて歩きました。

 大人の娯楽が余り無いロシアでは
 子供と一緒に家族で楽しめる公園に
 国の予算が使われているようです。

 公園内には規模は小さいですが子供用のゴンドラ等多数ありました。

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(コルサコフの港)

 港町コルサコフでも丘陵の上には市役所があり
 其処から南北に並木道が走り
 両脇には市民が利用できる御店が並んでいました。

 緑に茂る並木の下を
 乳母車に赤ちゃんを載せた若い綺麗なお母さん達が歩き。

 笑いながら世間話を交わしている姿は
 何処の国でも同じで清々しいなあと思いました。

 海側の低地には工場地帯があり
 丘陵の上には5階建て程のアパート群が並びます。

 ニューヨーク・マンハッタンのハドソン河岸のような高さです。
                 
 コルサコフからユジノサハリンスクに返る途中
 30㌔程の道のりですが、起伏の多い地形でした。

 大きな坂を降り丘を登り上がった処で警察に停められました。

 警察官は2人で
 一人は坂を降って来る最高速度の地点でスピードガンで速度を測り
 他の一人は一台於きに車を停車させます。

 勿論全車がスピードオーバーです。
 そして罰則金をその場で払わさせるのです。

 ナント領収証はありません。
 見ていると嫌々ながらも、警察に表立って反抗する人は居ません。

 運転手に聞くと『これがロシアスタイルだよ』と言いました。
 マフィア大国ロシアでは警察も最大のマフィアの一つです。

 罰則金が誰の懐に入るのか、興味深いところです。

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 ユジノサハリンスクで
 一番大きな建物はサハリンエナジー社の建物です。

 10階建て程で
 4ha程の敷地に真新しい巨大なビルがそびえ立っていました。

 映画館は数軒あり
 ハリウットの最新作もロシア語吹き替えでやっていました。

 入場料はロシアとしては可也高かった様に記憶しています。
 多分10ドル位です。

 それでも映画館は半分以上の客入りです。

 デパートも数軒あるのですが
 広い敷地のなかに道を走らせ
 小屋のようなブースを30軒ほど造り
 野外マーケットのような商業スペースがあるのが特徴です。

 鉄道駅の西側には可也大きな食料品屋外市場がありました。
 其の近くには衣料品の屋外市場もあります。

 経営者には朝鮮半島出身者が多かったです。

 
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(コルサコフ市役所・レーニン像があるのは中央アジアとロシアでも極東だけです)

         
 ガガーリン公園を散策している時
 75歳だと云う老紳士に会いました。

 日本人だとばかり思っていたのですが
 朝鮮半島出身者だと言いました。
 日本語は完璧です。

 彼は戦後サハリンに残り
 新聞記者として生計を立て
 ロシアジャーナリスト協会の正会員にまで成ったと言いました。

 退職する頃「日本の援助?」で朝鮮半島出身者の
 韓国への帰国支援プログラムに応募し
 
 今は韓国で暮らし
 息子達が暮すサハリンに
 年に2回程里帰りするのだと言っていました。

 北朝鮮関係の仕事もあり今は悠々自適の生活のようです。

 何故、戦後朝鮮人は
 直ぐに帰国出来なかったのか聞いてみました。

 彼が言うには朝鮮動乱が起き
 その後の紛争が続くなかで、ロシア政府は

 統一後(北朝鮮への統一)の朝鮮へ朝鮮人を送還する方針を持ち
 今に至ってしまったと言いました。

 彼にはその後ユジノサハリンスク市内で何度か邂逅し
 彼も僕もお互いを少し警戒していたので
 会釈以上の関係は出来ませんでした。
                 
 さて本題の真岡郵便局跡を訪ねる旅です。

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(宿泊したホテル ガガーリン公園の近くにあります)

 ホルムスクに出発する当日の朝
 ホテルの朝食レストランで日本人を見かけました。

 40代のポッチャリ顔の彼女は
 日本からの団体を率いて来たガイドでした。

 朝の忙しい時間で誠に申訳ないとは思ったのですが
 真岡郵便局の場所を聞いてみました。


 以前行ったのは大分前の事で
 出店が沢山出ていて分かり難い場所だったと言います。

 此れから探しに行くのなら、ロシア語を教えてあげると言いました。

 エスタ・スターレイ・ポチタ 
 (古い郵便局は何処ですか?)と云う言葉でした。

 エスタは何処、スターレイは古い、ポチタは郵便局です。
 但し僕の記憶に間違いが無ければですが。

 笑顔の可愛い北海道弁のガイドさん有難う御座いました。

 かくしてチャーターした車で
 ホルムスクまで1時間のドライブをしました。

 ユジノサハリンスクから海岸部のホルムスクまで
 緩い峠を走り貫けるのですが
 峠にかかった頃から霧が出始め雲の中を走るような感じでした。

 途中、熊笹峠辺りから海岸部が覗けるように成りました。
 辺りに家は無く、住宅はホルムスクの町に固まって存在しました。

 コルサコフと同じく此処も丘陵の町です。
 
 海岸部に港湾荷上げ関係の広大な施設が展開し
 フェリーターミナルが有り
 舗装道が丘の上にと続いていました。

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(真岡郵便局跡地)

 現郵便局のある丘の上で幾人かに聞いてみました。
 30分ほど聞き廻って分かった事は郵便局は何度か移転しており
 一つは数十年前火災で焼失したとの事でした。

 その郵便局跡は丘の下にあると云います。

 車で丘を降り海岸部の小さな花屋さんに聞きました。
 花屋さんは傍の建物を指差しました。
 上掲写真・9階建ての建物がそうです。

 フェリーターミナルから北に300mの位置に有りました。
 直ぐに分ります。

 火災の後、此のビルが建ち一階は銀行が入っています。
 前庭は200坪程ありました。

 此の庭が真岡郵便局跡なのです。

 此の庭から海側をみると頭掲の写真になります。
 ガイドに聞くと慰霊の碑では無いと云います。

 日本人から見ると意味のある真岡郵便局跡も
 ロシア人には全く・・マッタク関心が無い事なのです。

 ロシア軍が自らの血を流し
 日本軍国主義者から奪い返した領土
 それがサハリン、遙か昔の事なのです。

 日本時代と云う言葉を多々聴きました。
 軍事力で他国・他民族の土地を奪い取っていく事を
 軍国主義と言います。

 日本は全く其の通りでした。

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(熊笹峠にある対日戦勝記念碑)

 でもロシアが1945年以後やった事も全くの軍国主義なのです。

 ただ世界社会主義革命という美名で隠していただけなのです。

 此の事をロシアの人達は分っていませんし
 分ろうともしません。

 唯、現在の経済的危機の現実だけは認識しています。

 やがてロシア経済も回復する時が来るでしょう。
 其の時世界に如何いう影響を与えるのか危惧するところです。

 僕はロシアの事を語ると熱く成り過ぎるようです。この位で。

 エスタ・スターレイ・ポチタ 如何でしたか。
 日本に一番近いヨーロッパ ロシア。

 もっと簡単に安価で行けるようになれば
 相互理解は進むかと思うのですが。


 一見の価値は有ります。
 夏にパックツァーが有ると思います。
 貴方も如何でしょうか。

 
 エスタ・スターレイ・ポチタと言ってみてください。
 
          

   それではまた後日


    

 
 真岡郵便局を訪ねたビデオをyoutubeにupしました。御参考にして下さい。


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(ユジノサハリンスク駅前公園に建つレーニン像)

続きを読む

綺麗なジャパユキさんは御好きですか ウラジオストーク

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(ウラジオストーク空港)

 「唐ゆきさん」を捩った言葉「ジャパユキさん」
 国際収支が貧弱だと
 国民は外国に出稼ぎに往かなければ成りません。

 それが女性だと水商売
 懸命に言葉を覚えて働き家族に送金する姿は
 頑張れよと言ってあげたくなります。

 僕が住んで居るフィリピン セブからも
 日本に働きに行くジャパユキさんは居ます。

 月に1000ドルの送金はフィリピンでは大変な金額
 家族 親戚が集って来て20人は養っていけるでしょう。

 美人でスタイルが良くて健康でなければ
 オーデションを勝ち抜いて行けません。

 彼女達は特別なのです。
 其れでもジャパユキさんは後ろ指を射されます。

 其れはフィリピンの水商売(カラオケ・バーetc)では
 売春が常にあるからです。
 日本のフィリピンパブは売春がないと言っても誰も信じません。

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(マニラ空港)

 マニラ空港では毎日の様に
 ジャパユキさんの出国、帰国の風景に出会います。

 お母さん・妹・弟・従兄弟・叔母さん
 家族全部で彼女達を出迎えに来ます。

 御土産をダンボール一杯にして家族に錦を飾り
 マニラの郊外の故郷へと消えて行きます。

 しかし   ケバイ。
 真っ赤なショートパンツに臍だしルック
 何処でコンナ服装センスを身に付けたのか? 
 
 誰が見ても一目瞭然
 アメリカなら街娼と言われてもショウガナイ格好。

 フィリピン映画でも
 登場するジャパユキさんは派手派手ファッションで
 日本のカッパ海老煎を御土産に持って登場して来ます。

 やっぱり派手に見えるんですねー。

 但し今は日本政府の政策転換で
 出稼ぎは水商売から看護婦招請に代わった為
 盛時の10分の1に激減したそうです。

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 (ウラジオストーク空港)              

 其れではフィリピン以外の国

 例えばロシア人の
 水商売で働くジャパユキさんは如何なのでしょうか。

 其処で行って来ましたウラジオストーク。
 新潟空港から直行便が有りました。

 出発時刻の2時間前から
 三々五々に集って来たロシア人女性 

 美人 綺麗 スタイル抜群 金髪 ゴージャス  そして派手! 
 派手 はで ハデ 派手  一目瞭然水商売
 美人だから余計目立つ
 そして定番ダンボールの御土産。

 小さな飛行機に20人以上
 ウラジオストークに着くと
 これまた小さなイミグレーションルームは
 彼女達の勢いに占領されました。

 入管の女性職員は明らかな蔑視の視線を送っていました。

 荷物は隅々まで調べられ
 日本人形のケースの裏まで分解して調べられていました。

 だけど凄まじい勢い・オーラ 水商売の匂い 臍だしルック
 彼女達も負けてません。

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(写真はウラジオストーク鉄道駅   空港ではありません)

 1時間程して漸く関門突破
 空港の待合室に入ってきました。

 僕はベンチに座って観ていると
 出迎えに現れたのは2mもあるような男
 ハンサム カッコイイ 強そう 恐そうな若い男。

 出迎えのキッスをすると彼女を抱えて
 空港から出て行きました。

 次のジャパユキさんが出て来ると
 出迎えはまたまた強そうな男
 お母さんの姿は有りません。

 次も次もその次も男 男 オトコ 男
 其れも屈強な男。
 出迎えのキッス 出迎えは全部が男でした。
    
 フィリピーナと恋に落ちマニラに通うと
 親戚一堂にタカラレタと云う話はヨク聞きます。

 しかし、しかしですよ
 ロシア美人と恋に落ち
 モスクワやウラジオストークに来てみたら
 マフィアの恐いお兄さんが待ち受けて居る。

 オー恐ろしい 怖ろしい おそろしい。
 其の先は如何なるのか
 生きて帰って来た人がいたら
 是非ブログに書いて下さい。お願いします。
         


           それではまた後日
          


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(ウラジオストーク市内)

ゴローニン少佐は男前だった・・か?

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(ユジノサハリンスクにある日本時代の建物を使った博物館)


 稚内から東日本フェリーで五時間程
 津軽海峡とさほど違わない距離に
 日本に一番近い外国の一つロシア・サハリンが在ります。

 此の国に近隣する国は多く、東欧の国は勿論のこと
 イラン トルコ パキスタン 中国 朝鮮 日本等々と

 今でもロシアを可能的敵国と考え
 緊張状態を持っている国が沢山あります。

 王制から社会主義そして現在に至っても変ったとは思えません。

 欧州の東端に位置し、広大な不毛寒冷地帯を開拓し続ける事を
 宿命づけられた此の国にとっては

 《武力で尊い血を流して獲得した領土を財産とする考え方》は
 当然なのかもしれません。

 革命以来の長い期間、戦争以外で海外に行く事も無く
 国内旅行も侭ならず
 特殊な閉鎖社会を続けて来た事はロシアの悲劇であり

 過去を清算する時間も無しに
 二億以上の人口を持つ国が、現在マフィア時代に突入している事は

 彼らの不幸で
 私達に与えられた時限爆弾のような物だと思います。

 之で終わると政治・学術集会の基調報告に成ってしまいますね!

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(市場でみつけた魚屋さん 筋子がいっぱい)


 ユジノサハリンスク駅前を北に進み踏み切りを西に渡ると
 市民マーケットに行き当たります。
 其の北側に小さな公園がありました。

 町の散策で疲れた時、一寸足を止めたことがあります。
 其処で僕は見つけチャイマシタ。 
 なにを?  ゴローニンの胸像を!。 

 学校の日本史の時間、1811年に
 国後島で捕らえられたロシア海軍ゴローニン少佐(中佐 ?)は云々
 と習いませんでしたか。

 世界情勢の変化で単純な鎖国政策だけでは
 外交が困難に成る過程の一事件だと習ったはずです。

 ではドンナ風貌のロシア人だったんでしょうか。
 教科書に写真は載ってなかったと思います。
 
 ゴローニン 
 響きからするとドロボー髭で浪人で牢屋に入ってて
 強姦しそうで、頭悪そうで、乱暴もので、パンツが臭そうで
 兎に角悪いイメージばかりが浮んできます。

 でも公園で見つけたゴローニン海軍少佐はハンサムでした。

img233
(ユジノサハリンスクを見下ろす丘の上で 美人ガイドさんと)

 若くて、海軍将校服がよく似合って
 凛とした気品があって、頭良さそうで、人柄も善さそうで
 清潔で、上流そうで、ワルツが巧そうで

 若い娘なら視ただけで妊娠しそうで、お金有りそうで、・・・・

 一体ドンナ男なんだと思うでしょう。いま写真は在りません。
 証拠を見せろ・証拠をと・・・私もそう思います。
 ビデオに夢中で写真は撮りませんでした。

 ビデオから写真は簡単に切取りが出来ます。
 でもテープは札幌に置いてきました。
 此処はフィリピン セブ島です。

 大変申し訳在りませんが、妊娠したい女性の方
 是非 ユジノサハリンスクの公園までイラシテください。 

 保証します。 妊娠します!。
             
    それではまた後日
       

img253
(ユジノ駅前で出会ったロシア人船員さんの御夫婦)
    

 札幌に帰ってきました。ゴローニン少佐のビデオを編集し
youtubeにアップしました如何でしょうか。
得と御覧ください! 




img245
(ユジノ市内の映画館)

白夜のサンクトペテルブルク ネヴァの渡し

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(サンクトぺテルベルグ)

      
 サンクトぺテルブルクに着いたのは夜10時を廻っていました。

 玩具のような小さなバゲージクレーンから荷物を取り出し
 ホテル行きのバスが走り出したのは真夜中近くになっていました。

 2001年6月の末

 北緯60度のサンクトペテルブルクは白夜でした。
 太陽がしぶとく地平線に居座り
 僕は午前0時の夕陽をたっぷり堪能する事が出来ました。

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(エルミタージュ美術館)

 翌日はエルミタージュ美術館を楽しみ
 ネヴァ川のクルーズも有り退屈しない日程をこなしました。

 ブリバルチスカヤHotelの地階には
 質の高いレヴィューを見せるシアタースペースが在り
 ショウが終わっても未だ11時過ぎ、白夜のロシアでは未だ宵の口です。

 ロシアに詳しい友人と
 彼の女友達をにわかガイドに仕立てて
 街の中心部にくり出す事にしました。

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(聖イサク寺院)

 聖イサク寺院の隣にある《ホテルヨーロッパ》
 此の街一番の高級ホテル。

 タクシーを降りると黒塗りのベンツが数十台
 イカツイ体格の一目でマフィアと分かるボディーガード 
 運転手が一面にタムロしておりました。

 裏口から地階に続く石の階段を降りると其処はカジノ。
 バーにはその筋の怖い御姉さま方が
 腕を組んで椅子に腰掛けてイラッシャル。

 其の前を恐るおそる通り過ぎ左折するとショウシアター
 此処でも客は(アッニキィー)の世界。

 外国人同伴でなければ
 ロシア人の彼女も此処には入れないと云います。

 恐るべしマフィア王国ロシア!
 いったい如何してコンナコトになったんでしょうね! 

 2時間程ショーを楽しんでからマフィアHotelを後にしました。

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(サンクトペテルブルグの大動脈 ネヴァ河) 

 夜中の2時を過ぎると流石に薄暗く
 ネヴァ川に架かる可動橋は跳ね上っていました。

 此処でタクシーを降り
 夜中のネヴァ川クルーズで顧客満載の船に頼み込み
 対河岸まで渡して貰う事にしました。

 船の顧客は20代のアベックばかり。
 時間が勿体無いぐらい毎日が楽しいんだろうねー 夜中まで!。

 船中で安いウォッカを奨められた友人は一気飲み
 大丈夫かー?。

 対岸からタクシーを拾い一路ホテルまで帰りました。

 夜中のサンクトペテルブルグ、タクシーのライト
 猛スピードで変っていく街の景色、石の建物
 ネヴァ川、ロシア。

 気分はジェームス・ボンドです。 
 ホテル着 朝4時でした。

 こうして寝不足のロシア旅行は楽しく終わりました。
      

       それではまた後日
           

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(観光地になっている宮殿 写真モデル)

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