Blog Book of Captainyama

76ヶ国の海外旅行記です。 1999年からの世界旅行を2007年6月までのセブ島滞在中に ブログにしたものです。

アフリカ

貴方は ビルゲイツ 若しかして アジスアベバ

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(アジスアベバの高級レストランの珈琲セレモニー)

       
 5年程前
 西遊の企画旅行でエチオピアを17日間旅行しました。

 旅行も最終日に近づき
 アジスアベバの有名ショーレストランで最後の晩餐をしました。

 其処へスーツ ネクタイ姿の
 明らかに政府高官と判る、エチオピアに似相応しく無い
 5~6人の団体が入って来ました。

 彼らは一組のアメリカ人夫婦を中心にして居り。
 エチオピア政府の接待会食である事が見て取れました。

 其れが ビルゲイツ・・・? 
 アメリカ人の御主人は写真で見るビルゲイツそっくり

 でも・デモ・でも 何処か変・ヘン・変なんです。
 最近のビルゲイツの動画見たこと有りますか?。

 僕は有りません。
 エチオピアで見た彼はジーパン・ティーシャツ姿
 トイレに行く時の行動が変 変なんです。

 明らかに・・御馬鹿さん・・なんです。
 顔も弛緩して、凛凛しい青年実業家の姿では無いのです。

 壊れている・・僕の印象でした。
 奥さんは普通のアメリカ人

 余り目立たなく 
 御主人を懸命に気遣っているのが判りました。
 スーツ姿の政府高官とジーパンの壊れたアメリカ人。

 其れを気遣う立派な奥さん。
 アジスアベバの高級レストラン
 余りのアンバランスで余計に目だっていました。

 でもまさか・・違うかも知れない。
 僕の好きなビルゲイツ
 みんなの憧れビルゲイツ。

 他人の空似かな・・かな・・かな?。
 と思い日本に帰って来ました。

 そして2週間後

 日本の新聞の片隅に
 《ビルゲイツ、エチオピアに多額の寄付》
 と云う記事を見つけました。

 皆さんは如何思われますか。
 天才と○○は紙一重でしょうか。
 他人の空似だったのでしょうか。

 僕には未だに判りません。

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(エチオピアで出来た私の御友達) 

  
 格してエチオピア旅行は楽しく終わりました。
 17日間旅をしてエチオピア人の笑顔に癒されました。

 人懐っこくて写真も撮らせて呉れて
 バスを止めると山の中でも人が沢山集って来ます。

 風景の良い山の頂上に行くと
 子供達がノートを開いて勉強しています。

 感心だねー
 エチオピアの将来は君達に掛っているんだよー!。

 コンナ山の上で寸暇を惜しんで勉強か! 
 どれどれオジサンに見せてごらん 

 ノートを覗いてみると小学校3年生程の男の子が
 ナッナント高等数学(微分・積分)のノートを広げていました。

 ・・?・・?・そうか・・そういう事か。 
 ウーン うーん。
 そういう事なのでした。
 
 この国の子供は直接呉れとは言いません。
 大人は要求してきます。
 援助慣れしているのですね。

 外国人から貰って当然。
 10年に一度、ユニセフは
 エチオピア飢饉をネタに大きな募金をしています。

 痩せこけたエチオピア人の写真をポスターにして。
 でも写真のようなエチオピア人
 沢山見ましたよ、山の上で!。

 今は飢饉では有りません。
 多分、高地に住む人種の身体的特徴なんでしょう
 痩セコケテイルのは!。

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(移動中にみつけたエチオピア美人。 確かに美人が多い!)

  アフガニスタンでも
 ユニセフが援助する小学校の写真撮影は拒否されました。

 撮影権がユニセフに有るらしいのです。
 援助 援助も好いけれど
 援助は世界のビック・ビジネスになって居る事もお忘れなく。

 僕が思うに
 アフガニスタンの様にムスリムで自立意欲が有る国への援助は
 将来が期待できるけれど。

 フィリピンやエチオピア アフリカへの援助は
 お金をドブに捨てて且つ

 汚職浸け、援助浸け
 銃器浸けにする様なものだと。
 僕はそう思います。
     

    それではまた後日
  

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(西遊旅行の添乗員 瀬川扶佐子女史と写す タクマシイ大阪の御姉さま)

誰かアルチュール・ランボウをおしえて呉れませんか

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(アデンホテルにて)


 ランボウの詩集を読んだ事は有りません。

 只、エチオピアのイスラム地域ディレダワとイエメンのアデンで
 ランボーの住んだ家を見ました。

 ディレダワで武器商人として暮らし
 アデンではイエメン人の女性と暮らしていた、と説明を受けました。

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(ランボウが住んだ家 エチオピア ディレダワ)

 37歳で亡くなったランボーの作詞期間は
 17歳前後の3年間と聞きます

 その後20年間を文学と縁の無い世界で暮らしたとすれば
 アラビアは彼の作詞に無関係の場所だったのでしょうか。

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(ランボウが住んだ家 イエメン アデン)

 ディレダワ~アデン僅か500㌔
 ジブチに抜ければマンダヴ海峡の対岸。

 土のあるディレダワに対して奇妙な岩の港湾アデン
 全く違う景観に照りつけるギラギラとした乾燥した太陽
 アザーンが鳴り響くムスリムの世界アラビア。

 ディレダワもアデンもアラビアの真っ只中でした。

 維新動乱期、侍使節団がマラッカ インドを抜け
 アデンの港に入港したとき
 其の奇観にさぞや度肝を抜かれたのでしょうね。

 此処からがアラビアです。
 カイロでスフィンクスと写真を撮り
 石造りのヨーロッパの街を歩き
 世界の大きさと現実を思い知った事でしょう。

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(アデン 岩だらけの奇景の港)

 僕はアデンが大好きです。
 幾度も南北イエメンに分れ幾度も統合され
 其の度に外国の干渉と血が流されて来ました。

 イエメンを旅して解りました、アデンはイエメンでは無いのです。
 ディレダワもまたキリスト教国エチオピアでは無いのでした。

 此処は大地溝帯が紅海に沈み込む間際の低地アラビアなのです。

 大山岳国エチオピアとアラビア半島の山脈国イエメン
 其の間に横たわる2000㌔に及ぶ細長い紅海。

 此の地帯は距離的に近くても高低差が大きく気候も風景も
 人の気性も文化も人種さえもが違うのです。

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(アデン まさに岩のアラビア)

 近いが為に一国内に収束しようとしても文化 経済的に無理があり
 始終分離独立の火種が燻ぶっている地域なのでしょう。

 加えて交通 軍事の超要衝、冷戦時はロシアの干渉
 今はアルカイダの攻撃の標的、実質的フランス領ジブチ

 動乱国ソマリアに囲まれて常に代理戦争の危機の真っ只中にある
 《燃えるアラビア》なのでした。

 でもアデンが大好きです。
 此処は農業に適した場所では無く人口も少なく
 高地イエメン人の様な気性の激しさは無く
 内戦を戦っても外国の援軍が無ければ直ぐに負けてしまいます。

 幾度も幾度も懲りずに戦い負け続ける。
 まるで森田童子のような処なのです。

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(南部地域の子供は明るい。高地の羊飼いの子供とはまったく違う)

 エキゾチックと云う言葉は
 アデンの為にある言葉だとさえ僕には思われるのです。
 僕の大好きなアデン、皆さんも一度見てみませんか。

 但し治安が安定しない為何時でも行ける場所では有りません。
 チャンスを見てさっと行って下さい。

 ランボウは『僕は幸福に飽きた』と言ったとか言わなかったとか。
 
 イメージの世界に飽きた彼は世界中を渡り歩いたとか。
 ジリジリと焼け付くアラビアの乾いた太陽は
 彼に生きる実感を与えて呉れたのでしょうか。

 《太陽と月に背いて》と云うビデオが有るそうです
 日本に帰ったら是非見てみたいと思います。
       
     
    それではまた後日
        

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(私の好きなアデン湾)

キリマンジャロの雪 満天の星

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(キリマンジャロ  夕方になると雲が晴れて見えるようになります)

       
 へミングウエイの名作《キリマンジャロの雪》

 年老いた豹がキリマンジャロ頂上の氷河地帯で発見された。

 獲物も期待出来ない氷河地帯まで何故迷い込んだのか
 野生の勘が年老いて失われたのか
 覚悟の放浪なのか

 巨万の遺産を残した伯父からのもう一つの遺産(謎解き)を胸に
 彼 へミングウエイはキリマンジャロを望むキャンプで
 熱に浮かされて眠る。


 多分映画評論ならこう書くのでしょうね。

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(アンボセリ セリナ ロッジ 1,120M ここも結構高地です)

 私、へミングウエイの追っ駆けも、遅れ馳せながら
 ケニア、アンボセリ国立公園に行ってきました。

 広大な国立公園のなかは動物の糞 糞 ふん フン 糞だらけ
 像の糞、馬の糞、鹿の糞、草食動物の糞でいっぱい
 でも臭いはしません。

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(草原は糞だらけ)

 日本車を改造したサファリィカーに乗ってライオン探します。
 腕の良いガイドは何とかライオンの食事風景を探し出して来ます。

 ランチはシマウマ うーん ウーン  可哀想 
  シマウマにprice tagが付いてたら
 ライオンも選ぶのに躊躇するかなー?  愚問でした。
        
 日中は雲に覆われているキリマンジャロも
 夕方に成ると雲がきれ、その全容を現してきます。

 夕闇が訪れキリマンジャロの山腹にも何かの光が灯される頃
 フッと上を見上げると天上は満天の星
 スターダストとは此の事を云うのかと思いました。

 標高1200mのアンボセリ国立公園
 天の川を生まれて初めて見たのは此の時です。

 その後南アフリカやエチオピア高原でも見ましたが
 此の時の感動は僕の忘れられない思い出になりました。

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(暗い内に飛び立ち、降りる頃には明るくなります)

 早朝3時熱気球に乗るためにセレナ ロッヂを出発すると
 路上にライオン。

 クラクションで追払い更に走ると
 ジュラフの大群の移動に出くわしました。

 眼だけをキラキラ光らせ草野を静かに移動して行きます。
 気球のバーナーが点火され上昇を始めた頃
 あたりが明るくなり始めます。

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(乗客は日本人も含め国際色豊か)

 樹の上スレスレに気球が移動し、ライオンの家族 鹿の大群の上を抜け
 目的地に到着し朝食パーティーになりました。

 大型銃で武装したスタッフが遠巻きに見守るなか
 シャンパンが抜かれ楽しい一時を過しました。

 僕達もライオンの朝食になるのは厭だもんねー!

 へミングウエーの謎は解けたかって?・・・いまも考えています
   僕だけの答えを! 
           

       それではまた後日
    


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(万歳? ケニア)


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(現地の英語ガイド 観光村がガイドを持ちます。
彼女は酋長の第00夫人でした。 ガイドの自宅で)

エチオピアの鳥人

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(湖水地方で記念撮影)

 地学で大地溝帯と云うものがあります。

 トルコのアララット山辺りから始まり
 イスラエルの死海、紅海を抜けてエチオピア
 ケニア、タンザニアとアフリカを縦断して行く

 地球に刻まれた大きな割れ目 溝と云うものらしいです。

 エチオピアの国内航空路線に乗ると
 実に綺麗に此れが地溝帯かと分かります。

 グランドキャニオンをずっと大きくした様なものです。

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(湖水地方の漁師・ この湖の畔に爺さんがいた)

 首都アジスアベバを南に数百キロ下って行くと
 地溝帯に沿った湖水群が続きます。

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(山の中で車を停めると、すぐにエチオピアの子供たちが集まってくる)

 道路は中国の技術 財政的援助で整備されつつ有ります。
 湖畔には集落が在り、朝方は漁師が市を開き賑わっていました。

 外国人である僕が入って行っても別に気にする事なく
 皆のん気に集って楽しく過しています。

 何を話しているのかニコニコ笑顔で田舎はいいなと
 僕もリラックスして魚を見て歩きました。

 でも、アレー、マントのようなボロ布を纏ったあの爺さん
 一寸小さくて、さっきからニコニコ
 いい爺さんだなと思っていたら、禿げてて、人間じゃあないぞ!。

 僕がジッと見ているのに気づいて
 爺さんも怪訝な顔をしたので、一寸眼を逸らして
 もう一度見返すと爺さんが居ない。

 ふっと上を見上げると
 4mはある大きな鳥が上空を舞っていた。
 うわー爺さん鳥だった。
    

 4羽程の怪鳥が羽根を広げてユックリ空を旋回しています。
 アフリカ禿コウと云うコウノトリの一種らしいです。
 爺さんに威厳を感じました。

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(どこでも子供がたくさん)

 僕達は日本人だ 韓国人だと人や動物を分けて考えて
 領土だ国境だと拘り、其れが文明だと思っています。

 でも此処、湖水地方の人は 彼は空を飛べる人
 僕は遠くから来た人
 自分は魚を捕る人としか思っていないのでしょう。

 僕の常識、地溝帯の非常識! 《恐るべしアフリカ》 
 ふっと溜息をついて市場を後にし林を抜け
 停めてあったバスの処まで来ました。

 振りむくと
 湖岸あたりの上空で爺さんは未だゆっくりと旋回していました。

 僕は此の時本気でパイロットになりたいと思いました。
        
      それではまた後日
          


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(エチオピア珈琲の木の下で)

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