Blog Book of Captainyama

76ヶ国の海外旅行記です。 1999年からの世界旅行を2007年6月までのセブ島滞在中に ブログにしたものです。

北米

アカプルコ発 セブ行き ガリオン船の旅


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(アカプルコの港です)

 
 アカプルコ発 セブ行き ガリオン船の旅 

 今の時代のツァーでは有りません。
 スペインが未だフィリピンを植民地にしていた時代の船旅です。

 大変だったでしょうね。
 貿易風に乗って数ヶ月かけてセブまでは来ても
 復路は難しかったらしいです。

 1565年に太平洋大圏航路が発見され
 (日本近海まで北上し黒潮と偏西風で米国大陸に至り
 カリフォルニア海流でアカプルコに戻る)

 之によりアジア貿易の拠点として
 フィリピンの価値が定まったらしいです。

 スペインにとってのフィリピンの植民地的価値と云うのは
 メキシコ植民地との中継点というだけだったようです。

 フィリピン植民地経営の損益計算書は
 300年間赤字だったと云います。

 搾取出来る物は無かった。

 港としてのマニラ、セブの有用性と
 召使の労働力だけだったらしいです。

 今でもそうです。

 フィリピンは海外就労者の本国送金だけで成り立っている国です。

 労働力だけが売り物の国なのです。

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(ロイヤルカリビアンの8万トンの豪華客船・レジェンド オブ シーズ号)

 2年前アカプルコに行って来ました。
 米国サンディエゴからの8万トン豪華客船での船旅です。

マゼラン時代のガリオン船は100トン前後でした。
これで太平洋を横断したのです。

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(アカプルコ博物館にあるマリア像)

 気象予報も無い時代で、命懸けですね。

 アカプルコのスペイン風要塞の中に
 アカプルコ歴史博物館が有りました。

 其処にはガリオン船の模型と一緒に
 上掲のマリア像が展示して有りました。

 是は僕達がセブやネグロス島でよく見かけるものです。
 メキシコとフィリピン
 交通も文化も繋がっていたのですね。


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  (アカプルコ博物館の外観・旧アカプルコの要塞)

   アカプルコ博物館の動画をyoutubeにアップしました。

  動画のなかに当時のガリオン船の模型がでてきます。




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(セブ島・サンペドロ要塞のインディオの頭部)

 上の写真はセブ島のサンペドロ要塞の
 チケット売り場に展示してある
 インディオの頭部のオブジェです。

 メキシコシティーに行かれた事が有る方なら分るでしょうが
 これはメキシコの博物館なら何処にでもある

 メキシコの特徴的オブジェです。

メキシコの物は数メートル有ります。
セブの物は50センチ程です。

ヤッパリ繋がっていたのですね。

 ピサヤ語やイロンガ語にもスペイン語が沢山混ざっています。
 現地の人が知らないだけです。

 アカプルコの要塞やマニラのイントラムロス程の規模は無いですが
 セブのサンペドロ要塞は
 キューバの要塞と同じ位の大きさが有ります。

 外観も内部もソックリです。

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(セブ島・サンペドロ要塞)
            
 日本は江戸時代に鎖国をしていた為
 スペインの影響を殆んど受けていません。

 セブのサントニィーニョ教会には
 スペイン来寇の絵が回廊に多数架けられて居ます。

 スペイン艦隊が来て村落が多数焼かれている横で
 宣教師による洗礼が行なわれている絵が数枚有りました。

 宣教師の身体を矢が透り抜けても
 不死身の宣教師は笑っている絵も有ります。

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(セブ島・サントニーニョ教会にあるスペイン時代の絵)

 フィリピンの人達は
 此の絵に義憤や疑問を感じないのでしょうか。

 フィリピンやアジアの歴史を見ると
 鎖国をしてキリスト教を排斥した日本の鎖国政策は
 間違いでは無かったと僕は思います。

  
 序でに
 フィリピンの名前の基になった
 スペイン皇太子フェリペ2世の顔御存知ですか。

 2年前ニューヨークのメトロポリタン美術館に行った時
 一階に胸像が展示して有りました。

 決して御利口な顔では有りませんでした。
 カメラが無かったので写せませんでした。

 先日検索中に
 その胸像の写真を掲載したブログを発見しました。

 写真権利者許可を頂きましたので掲示します。

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(ニューヨーク メトロポリタン美術館 フェリペ2世像)
 
  フィリピン人でもフェリペ2世の顔を知らない人が多いらしいので
 此の写真は貴重だと思います。

 セブ市は今、人口72万人
 マンダウエー市 ラプラプ市タリサイ市等6市を合わせた
 メトロセブ圏で130万人
 セブ本島で300万人

 セブ州で335万人の人口(2000年調べ)だと云います。

 マゼランも500年後
 セブがこんなに大きく成るとは考えて居なかったでしょうね。

 僕は今
 セブと云う歴史的にとても面白い処に住んでいます。

 纏まらないブログでしたが
 最後にセブ・サントニーニョ教会の
 スペインと宣教師による
 セブ襲撃 征服の絵を載せて終わりにします。

 左側で燃えているのがセブ原住民の部落です。

 手前には原住民の死体が転がっています。

      

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 それではまた後日


何処かで見たぞレイク・ルイーズ カナダの旅


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(中国 シルクロードにある 天池 です)

 上
の写真 中国シルクロード上に有る湖水
 《天池・テンチ》です。

 ナッナント、カナディアン・ロッキーの真珠
 《レイク・ルイーズ》にそっくりでは有りませんか?。

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(カナダ 雪のレイク ルイーズ なんにも見えません) 

 カナダには春、四月に行きました。
 もう7年程前の事です。

 レイク・ルイーズは完全に凍っていて
 周囲の山容と氷河しか臨めませんでした。

 でも《天池》観るほどに瓜二つでは有りませんか。
 カナダの無念をシルクロードで晴らしました。

 但し天池は中国の奥地
 廻りに観光施設は殆ど無く、全てが粗削りです。

 ホテル・レイクルイーズから見るアッと息を飲む
 洗練された貴婦人の美しさには到底及びません。 
   残念

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 ( ビクトリアの滝 水量がすごいです ジンバブエ側から)
  
  上の写真 ジンバブエに有る《ビクトリアの滝》です。
 《ナイアガラの滝》に似てませんか。

 水量・規模はビクトリアの方が上で
 観光客数はナイアガラの勝ちです。

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(ナイアガラの滝 カナダ側から)

 此の様にカナダは「旅行好き」の間では
 何時も比較で使われます。

 男性的カナディアン・ロッキーと女性的スイス・アルプス、
 少年的ニュージーランドの氷河山脈。

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(バンフから見たカナディアンロッキー)

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(スイス マッターホルン)


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(ニュージーランド マウントクックの近く)

  バンフ・スプリング・フィールド御存知ですか
 超の付く世界的高級ホテルです。

 このホテルは台北の
 超高級ホテル圓山大飯店と比較されます。

 トイレと浴室の広さは両者供普通のホテルの
 ツインルーム程の大きさが有り
 半端では有りませんでした。
 
 見るべき自然の宝庫で治安も完璧
 ホテル・観光業の人材も良し
 此れでもう少し物価が安ければ

 カナダは申し分の無い観光地だと思います。

 幸いパックツアーも多いので
 安く挙げる選択肢もある事だし
 定番海外旅行の優等生だと思いました。

 比較されると云う事は
 優良で上品な海外旅行の全てが此処に有る
 と云う事でも有るのです。
 
 但し出来れば季節は選びたいものです。
 良シーズンは高価格です。

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(季節が大切 レイクルイーズ)

 レイク・ルイーズが凍っていても良いのなら
 4月も楽しかったですよ。


            
 処で僕の住んで居るフィリピン、セブ島。

 決して上品な海外旅行先では有りませんが。

 パックツアーは有るのでしょうか?。


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(セブ 高級ホテル  プランテーション ベイ)

 セブのマクタン地区の
 高級リゾートだけなら有るのでしょう。
 リゾートから出さずに高いお金を取ってるのでしょう。

 マクタン島から出ると安いのに!。
 値段は10分の1です。
 
 でも汚いです。臭いです。
 夜の一人歩き厳禁です。
 友達に成るとフィリピン人にタカラレます!。 

 怖いですよ。 冗談です。 半分は本当ですよ!。

 それにしてもレイテ、北ルソン
 ミンダナオのパックツアーは本当に稀です。

 月に一本なら何とか出来ても、毎週頻繁に催行されたら
 誘拐対策が必要に成るのでしょう。

 現地旅行社に依頼して
 ガイド付きの手配旅行にするのが一般的な様です。

 其処までして行きたいか? ・・・行きたい!。 
 分る人にしか解りません。 
 
 だって僕はヤクチュウならぬ《旅チュウ》ですから・・・
            

    それではまた後日
     

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(セブ島 地元のローカルな 海水浴場 子供達と  これも楽しい)

New York


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 (NYさくら亭  ニューヨーク 中心部にある清潔な宿でした)

     
 2005年6月 僕はNew Yorkに行きました。

 セブから出発しマニラで一泊した後 
 North West で成田を経由してニューヨークに着きました。

 成田トランジットです。
 (地球の歩き方ニューヨーク)を成田で買い込み
 目的地まで13時間お勉強です。

 宿はNYさくら亭(w46th.st betw 10th~9th.ave)です。

 マンハッタンは碁盤の目状なので直ぐに分かりました。
 日本人経営のドミトリーで格安、親切でした。

 御客もミュージシャン 学生 古着買い付け業者 
 元ニューヨーク在住者等面白く

 男性のスタッフにはニューヨークでの住宅の捜し方
 コミュニティー等教えて頂きました。

 経営者の叔母さんはチョッと怖そうでした。皆さんどうも有難う!。

 毎日よく歩いた
 1ヶ月 靴がよくモッタと思います。West Coast(靴)どうも有難う。

 地下鉄もバスも余り利用せず、ひたすら地上を歩きとうしました。

PICT1566
《West Coast(靴)》

 ニューヨークの朝の顔

 昼の顔
 夕暮れの顔

 夜中の顔
 ダウンタウンの顔
 ハーレムの顔

 セントラルパークの顔
 本屋の顔

 デパートの顔
 レストランの顔

 とりわけ日本食レストランの顔。

 スポーツバーの顔
 ジャズスポット(バードランドやブルーノート)

 ソーホー
 美術館

 一日15時間よく歩いたと思います。

 三週間が過ぎた頃から公園に居る時間が長くなりだしました。

 リンカーン公園・ワシントン公園
 その他にもマンハッタンには小さいけれど
 ホットする公園が沢山あります。

 帰りたいなあ、帰りたいなあ、帰りたい!帰りたい!
 かえりたいぞう。
 タブン体力的に疲れたみたいです。


 それと(世界の中心)を見てみたい
 と云う気持ちで来たのだけれど
 此の街を見て世界の中心と云う実感は沸きませんでした。

 此れまで旅したどの国も
 外観をジッと見てると内容が解りました。

 でも此の国、此の街は解りません。
 ニューヨークは二度目、米国は五度目です。

 今思うと
 (世界の中心)はインターネットの中に有るのではないかと!。


 と云うことは最早、場所としての(世界の中心)など
 存在しなくなったと云う事です。(結論)。

img168
(セントラルパークで)

 滞在2週間目にホテルを移しました。
 SETON HOTEL ( E-40 th.st  betw Lexington .Ave ~3rd.Ave)
 クライスラービルの100m南です。

 世界の中心にあったマフィアhotelです。
 一日65ドル格安です。
 3週間分を前払いして入居しました。

 最初にコンタクトした時からオカシイとは思いました。

 レセプションが堅気ではないのです。
 自棄に高飛車で
 まあ安いから仕方無いかと思ったのが判断の誤り。

 此処は再開発地域
 地上げした土地にHotelが有ったので
 マフィアが客人を泊めるのに使っていたHotelだったのです。

 僕の部屋は客人の隣部屋でした。

 毎日夜中に帰ってくる、ガールフレンドを連れて酔っ払って
 大声で怒鳴る

 レセプションのスタッフも上がってきて喧嘩同然
 ジャックマネー 100ミリオンダラー(120億円)
 ブラザー バハマと云う言葉が飛び交っていました。

 賢明な読者諸兄は何が起きているか推察出来ると思います。

 此のチンピラは今夜、絶対に殺されると思いました。
 だけど壁はベニヤです。

 隣室でソファーに座っている処を撃たれると
 此の部屋のベットの位置に弾が抜けてきます。

img1571
(ニューヨーク ヘリから写す)

 寝てられないぞ!
 部屋の隅に椅子を移しマンジリともせずに3時間が過ぎました。

 大声は変わらず、未だ殺されてない。
 こいつ薬をやってるな、3時間もよく元気で叫んでるなあ!

 そう思いながらメンドウクサク成り何時のまにか寝てしまいました。

 2週間程これが毎晩続いた後
 何時からか隣人は姿を消していました。

 入居した当初
 鬼のような顔をしていたレセプションのスタッフも
 朝僕と顔を会わすと少し笑うようになっていました。

  三週間が過ぎ
 僕はまたセブに帰ってきました。

 セブの空はいつも青く
 白い入道雲がむくむくと湧き上がり
 セブアノの顔は笑顔で満ちています。

 Lexington.Ave での出来事は一体なんだったんでしょう。

        

   それではまた後日

PICT1779
 (これがセブ島)


 追記 2007年7月 
 ニューヨーク・マンハッタン路上で爆発事故発生
 さてはテロかと驚きました。

 場所はグランドセントラル駅の近くだと云います。

 原因は地中蒸気管の老朽化だと云います。
 大量のアスベストが飛散していると云います。

 大変だなーと思いよく見ると何処かでみた景色です。
 そうですseton hotelの斜め前が爆発地点だったのです。

 テレビの映像にはseton hotelも写っていました。
 怖い怖いマフィアホテルでしたが
 僕にとっては3週間滞在した思い出深い場所です。

 ここは再開発が遅れていて、マフィアが地上げをしていた地域でした。


img161
(セトン ホテル)

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