Blog Book of Captainyama

76ヶ国の海外旅行記です。 1999年からの世界旅行を2007年6月までのセブ島滞在中に ブログにしたものです。

アジア圏

台湾 大陸とワンセットな楽しみ方

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(観光の民俗舞踊)

 台湾を7日間で周る旅。
 都市から郊外に出て田舎を走ると
 奇妙な風景にぶつかります。

 小さな小屋のような御店のような処に
 ミニスカートの綺麗な御姉さんが立って居るのです。

 それも一箇所や二箇所ではアリマセン。
 幹線道路沿いに沢山有るのです。

 あれは何ですかとガイドに聞くと
 「ビンロウ椰子の噛みタバコ売り」だと言います。

 流石中国人商人、やる事は徹底していると思い
 一つ買って試してみました。

 石灰に何やら赤いものが混ぜてあり
 其れを口に入れて噛むのです。

 やってみました。
 チョークと甘くない木苺を噛んでいるようです。

 ややすると口の中が熱くなり、堪らず吐き出しました。

 口を水で濯いでも歯や口の中は真っ赤でした。
ややすると身体全体がポッポと熱く火照って来ました。  

 二度と遣るまいと心に決めました。 ペッペッ 

 台北で本場台湾エステに行って来ました。
 可也高かったと思うのは私がケチなせいでしょうか。
 でも内容は凄かったです。

 バスで数人で出かけました。
 やや待って入った部屋は
 マッサージ室と云うよりも手術室でした。

 オプションを色々付けたので
 
 3人の先生がマスクを着け
 3台の移動ランプを煌々と燈し
 毛穴からピンセットの鋭利なもので脂肪を
 一つ一つ掻き出しているのです。
 
 痛かったー。

 世界中でマッサージを受けましたが
 台湾のエステは世界一徹底していました。
 凄かった。   
 でも、もう行かない・・絶対に・・楽しくない!

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(故宮博物院)
         
 故宮博物院に行きました。
 これがメインテーマです。

 北京は3回行きました。
 紫禁城は最高です。
 壮大な本物の中国の王宮です。

 でも、何も無い。
 中国三千年の宝物・美術品は何も無いのです。
 
 モヌケのカラです。
 革命時に台湾に運ばれ
 ここ台北の故宮博物院に展示されているのです。

 「翠玉白菜」ミゴトでした。
 感動しました。
 
 でも博物院はじめ
 台湾で中国に模した壮大な建物・建築物は
 皆セメント造りでチャチな物でした。

 石を刻んだ建築物は王朝だから出来た物で
 近代ではもう造れません。

 大陸と比較してワンセットで見ると面白いですね。
 台湾・大陸 一勝一敗でした。


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(圓山大飯店の客室ベランダからの景色)

 世界三大豪華ホテルと評判の圓山大飯店に泊まりました。
 凄かったです。

 天井が高い。
 ロビーだけで無く、客室の天井も高いのです。
 
 だから浴室・トイレの天井も高く
 浴室の広さだけで
 並のホテルのセミスイートルーム位あるのです。

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(圓山大飯店の客室・天井が異状に高い)

 こんな広い浴室は
 カナダのバンフ・スプリング・フィールドの
 お城ホテルしか知りません。

 国威を賭けた紫禁城のようなホテルでした。

 でもでも運営が悪い。 
 幾ら建物が立派でも客をゴミ扱いするのはルール違反。

 幾ら安く泊まらせていても客は客。
 朝の朝食時
 そんな狭い処に追い遣らないで呉れ
 御願いだから。
 
gaido
 (ガイドさん 日本にも仕事で来てください)
                    
 7日間お世話して呉れた女性ガイドさん頭良かった。
 ケシテ美人では無いけれど
 
 御尻が大きくて良いお母さんに成れそうな
 愛嬌のある人でした。

 台湾人の観光客を日本へ連れて行くツアーを
 幾度も自分で企画して実施したと聞きました。

 日本のツアーだと
 添乗員は付けても実施は
 現地旅行社にマル投げしています。

 彼女はガイドブックで日本を調べ
 例えば仙台のお祭りを主題材にして台湾人観光客を集め
 日本で観光バスをチャーターして自分で添乗します。 

 日本で三日間一緒に周った観光バスの運転手に
 「中国語巧いね、何処で勉強したの?」と
 真顔で聞かれたと云います。

 其れほど日本語が巧く
 日本で何処にでも居るお姉さんでした。

 若し日本で隣に住んでいたら
 誰も台湾人だとは思わないでしょう。

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 台湾は旧日本の植民地でしたが、
 対日感情はとても良く
 それも楽しく旅行できた理由の一つです。

 1944年大戦末期に
 米軍が沖縄の外に対日攻略の上陸地として候補に挙げたのは
 台湾とフィリピンでした。

 主要な将軍達が台湾を上陸目標に挙げたのに対し
 マッカーサーだけがフィリピン上陸に固執し押し切ったと云います。

 台湾は上陸戦無しで米軍が通過した処です。

 結果レイテを始めフィリピンで日本軍人50万人
 フィリピン人100万人の戦死者を出しました。

 でも若しフィリピンを跳ばして
 台湾で上陸戦が行われていたら
 
 台湾在住の日本市民や日本に同調する台湾人を含めて
 想像を絶する被害があったでしょう。


 そうなれば今の様な良好な対日感情など
 存在しなかったと思うのです。

 歴史の偶然ですね。

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(蒋介石の軍服・意外に小さい)

 カクシテ楽しい7日間はアッと云う間に過ぎました。

 ガイドさんが
 日本で如何しても馴染めなかったのは
 旅館の大浴場だと言います。

 同性でも他人に裸を見せるのは堪えられないようです。

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(夜の市場・東南アジアの匂いです)

 僕はビンロウ椰子の噛みタバコが堪えられませんでした。

 台湾南端のオーラン岬まで行き
 夏の暑い日差しと草の匂い
 台中の街で嗅いだ臭豆腐の匂い
 夜店の雑踏、昔何処かでみた懐かしいアジアの田舎の風景

 ツアー同行者の笑顔
 忘れられない人生のひとコマに成りました。

 若しかしたら
 旗を持って添乗しているガイドさんに
 日本で会えるかも知れませんね。

      

    それではまた後日


     

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(台湾 最南端)

夜のクアラルンプール オカマ地帯は怖かった

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 (クアラランプールのガイドさん)

 アジアのムスリム国家マレーシア 
 巨大都市クアラランプール 
 世界で1・2の高さを誇るツインタワー 
 発展するアジア、無理に無理を重ねた背伸びか。 
 
 背伸びだと思います。 
 此れ僕の独断と偏見の結論です。・・終っちゃいましたね。

 クアラランプールが好きな友人は
 あそこはイスラム教の国だから猥わしい処は無いよと言いました。

 処が在ったんですねー、行ってきました。

   成田⇒コタキナバル⇒クアラランプールの忙しい旅でした。

 クアラランプール僅か一日
 20時間の滞在でした。

 正午に着いて昼間の型どうりの観光
 半日バスツアーです。

 午後5時にホテルについて一件落着。
 此れでは僕の旅は終わりません。

 此処からがcaptainyamaの本領発揮の旅
 好奇心ツアーの始まりです。

  上掲写真の小柄なガイド君に100ドル渡し
 オモシローイ処連れて行って呉れ

 危険でもいい、ワクワクする処、普段外国人が行かない処
 地元の人しか行かない処。

 時間は3時間。此れが僕の何時ものパターンです。

  ガイドが居ない時はタクシーの運転手をガイドに
 時にはホテルのボーイ、ディスコで知合った友達
 なんらかの伝手をフルに生かし
 3時間で其の国を覗き込む。

 だから危ない事も多々有りました。

    
 今回行った処の詳しい場所はわかりません。
 只、街の外れ

 ドブが臭く
 道はところどころに舗装が残った
 水捌けの悪い場所でした。

  所謂、娼館街でした。

 勿論違法です
 此処はムスリムの国です、とても厳しいです。

 外から見ると倉庫街です。
 此処でガイド君に言われました。
 captainyama此処は覗いてみるのは無料です。
 僕もお手伝いします。

 でも絶対 ゼッタイ ぜったいお金払って上るのは止めて下さいね。
 約束して下さい。

 何故なら娼館の経営者は警察と組んでいて
 営業の御目溢しを受ける為に外国人が来ると警察に通報します。

 警察は外国人を逮捕して
 法外な保釈金を要求します。

 此れは警察の商売なのです。

 以前日本人が此処を利用した事が有り
 ガイドの彼は警察が来るまでの時間を
 今か今かと外で見張りに立った事が有ったと云います。
 
 もう二度と厭だと言いました。

               
 ヨーシ判ったレッツゴーと突撃しました。
 倉庫の入り口には中国人の商売の神様「関羽像」が
 線香と供に飾って有り
 ガイド君がシャッターの穴から覗いて何か言うと
 シャッターはスルスルと上がります。

 中には窓に格子のはいったベニヤ張りの部屋が3室程あり
 申訳程度の粗末な寝台が据えて有り
 表情に全く力のない30代の女性が数人居り
 此方を見ると力無く笑いました。

 
 数人の客が来て観て居ましたが直ぐ帰りました。
 支配人はウチノ店は全部本物の女性だと胸を張ります。

 本物でない女性なんか居るのかと
 此の時は不思議に思いました。

 そして次から次に、また次 次に計5軒を一時間掛けて歩きました。
 
 利用もせずに外に出る時
 シャッターを果たして開けて呉れるのか心配でしたが
 問題は有りませんでした。
             
 倉庫街を後にして街に向って歩き出すと
 道端に大型バイクが停まり髪のながい女性達がタムロしていました。

 革ジャンを着たり、スタイルの良い人達です。
 暗くてよく見えないのですが何かエキセントリックな雰囲気が有ります。

 横道に入る角に僅かの街灯があり
 チラッと見えた女性の横顔には髭のような陰がありました。

 僕がエッと驚くと
 ガイド君すかさず小声で「オカマですよ」と言いました。

 でも近くにホテルでも有るのかいと聞くと
 「バイクの上でやるんですよっ!」エッエッー。

 立ち止って驚く僕を置いてガイド君はさっさと行ってしまいました。

 暗いとはいえ路上だぞー! 
 
 何とも怖ろしいクアラランプールのオカマ地帯でした。
 明るい街まで辿り着いたガイド君
 肩で息を吐き、無事生還できた開放感でニッコリ。

 彼も怖かったんでしょうね。
 仕事だからショウガナイか! 

 可哀想な事をしました。
      

   それではまた後日

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(コタキナバルで出会ったオーストラリア人の新婚さん)
        

サンダカンに行こう セブからも行ける 800キロ

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(サンダカンの日本人墓地 よく整備されていました)

 マレーシアのサンダカンと云えば《サンダカン八番娼館》で
 一躍知られる様に成った処。

 日本人のコロニーが有り、それも100年も前から。

 4年前フィリピン ミンダナオ島のダバオに行った際
 日本人墓地に参る機会が有り

 墓碑を見ると明治の年号
 札幌の墓地の年号も明治20年代が最古です。

 開国後の50年の間に
 日本の民間人が爆発的に国際化していった事の証明でしょう。

 一方は領土として残り他方は大戦後に一掃された。
 地球儀を遠くにして眺め、日本にスポットライトを当てた時
 
 此の100年のアジアの歴史は
 特異な《日本の時代》だったのだと思います。

 日本が主役と成る時代はもう二度と来ないかも知れません。
 
 そのサンダカン行って参りました。

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(丘のうえから遠浅の港がみえます。 サンダカン)

 僕の住むフィリピンで(コタキナバル)と云えば危ないイメージの処
 ムスリムの地域、貧乏、テロリストの基地、何でソンナ危ない処に?。
 と言われました。

 でも危ないのはフィリピンの方が
 ズート・ずーと・ズッーゥッと危ないんじゃないですか。

 マニラの人にセブに来ませんかと言うと
 ピサヤはゲリラが居て危ないからチョット・・と言われました。

 でもマニラの方がズット・ズット・ズッーと危ないんじゃナイデスカ!。
 要するに他に行った事が無いから知らない
 テレビの報道を鵜呑みに信じている訳ですねー。

 何処の国でも報道が一番の大嘘つきです。
 ハイ、此れ世界の常識です。

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(コタキナバル 高級リゾートホテルのテラスから絶景の湾が望めます。早朝には奥にキナバル山も見えます。ルームサービスで朝食)   

 コタキナバルにはシャングリラ級の高級リゾートホテルが5~6個あり
 清潔さではセブなど足元にも及ばないと思いました。

 道路は質の良いコンクリートで舗装され
 分譲住宅の質も良く値段もセブより安く
 治安に問題があるとは思えませんでした。

 違法に入って来るフィリピン人こそが治安のネックだと
 マレイシアの人達は思っているようでした。

 ナント云っても石油の採れる国は強いと云う事でしょうね。

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(キナバル山 4095m)

 次いで国内線の飛行機でサンダカンに移動しました。
 キナバル山の南を通り、丁度1945年(死の行進)が有った真上です。

 可也の部分が開墾され椰子の樹が規則正しく植樹されていました。

 サンダカンは遠浅の港町でした。
 丘の上に中国寺院があり港に魚市場があり
 セブのカルボン市場よりは衛生面・治安面で上の様に思えました。

 でも可也臭かった。
 旧市街の建物は古い物が多かったです。
 アジアですねー。 そのとうり! アジアです。

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(正面が魚市場 サンダカン市内)

 此処の観光客は英国人 オーストラリア人です。
 旧英国植民地です。
 彼らと一緒にオラウータンを見に行き楽しく旅は終わりました。

 サンダカン⇔セブ僅か800㌔なんですね。又行きたいと思いました。
            

   それではまた後日      


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(オラウータンが観光の目玉です)

バリ島の猿なんか嫌いだ インドネシア

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(ボロブドゥールの御釈迦さま)

       
  『世界75ヶ国を旅して
 さぞや多くの世界遺産・遺跡を見て来られたのでしょうね』と
 ヨク聞かれます。

 其の通り!。 

 見ました・観ました みました 視ました、腐るほど見ました。

 中国で中央アジアで
 中東でアフリカで
 南米で北米で

 地中海でヨーロッパで
 ロシアでシベリアで

 オーストラリアでインドシナで
 ボルネオでフィリピンで
 
 南極で・・他に何か有りましたっけ。

 でも殆んど憶えてません。
 関心が無いんです。
 特に西遊の旅行は遺跡が多く、添乗員は殆んど考古学者なんです。

 インディージョーンズの女性版です。
 素晴らしい説明ですが聴いてません。

 じゃあ何でソンナ奥地まで行くの
 危ない想いをしてまで、と聞かれます。

 それは好奇心が只強いからです。
 覗いてみたいのです。
 何処を・? パン○の中では有りません。

 人間を人類を自分を・・!
 カッコ良過ぎでしたね。 
 家政婦は見た・・お嫌いですか。 僕は大好きです。

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(ボロブドゥール遺跡 正面)

 バリ島テロ事件のズット前
 インドネシアに行ってきました。

 バリとボロブドゥールのパックツァーでした。
 ジャカルタに降り
 国内線でジョグジャカルタまで移動しました。

 乗り継ぎまで1時間なのでテキパキ遣らなければ成りません。

 荷物を取り出すと直ぐ、嵐のようにポーターが遣ってきました。
 説明も交渉も無しに行き成り荷物をカートに積み上げ
 コッチだコッチだと持って行くのです。

 当然のようにアッと云う間に
 個人旅行ならポーターの腕をムンズと掴まえ
 「待て、説明しろ、デフニィトリィ・ノット!」となるのですが。

 此れはパックツァー
 現地旅行社の手配なのかなと
 オドオドしている内に荷物は全部持って行かれました。

 添乗員の隙を突いて!。

 ポーターの速い事 速いこと
 16ビートのリズムに僕達の4ビートでは太刀打ち出来ません。

 兎に角参加者25名
 遅れまいと必死にポーターの後に喰い付いて行くのですが

 途中エレベーターに載せられ
 団体はバラバラ、行方不明が出てしまいました。

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(ジャカルタ空港 とんでもない空港でした)

                    
 こうなると添乗員は可哀想
 集合した20人をチェックインカウンターの前に集め

 「動かないで下さいね、5人捜して来ますから」と
 動揺を必死に抑え唇を真一文字に結んで
 空港の中へと消えていきました。

 其れを視ていたかの様に
 ガルーダ航空のチェックインカウンターの若造スタッフ
 「エニバディー・スピーク・イングリッシュ」と来た。

 僕が一番若かったのでショウガナイケド
 「アイ・ドゥー」と答えてしまった。

 飛行機がアンタ達の為だけに待って居るんだから
 直ぐ移動して乗ってくれと云います。

 今移動すると団体がバラバラに成り
 モット混乱が大きく成るから其れは出来ないと云うと。

 今乗らないと此の便は2日間無いんだ
 其れでも良いんだな、ヨシ飛ばしちゃうぞ、俺は知らんぞ!。

 僕と若造は大喧嘩
 勝手に向こうが怒ってた様に思うんだけど、16ビートで。

 30分程して5人は見つかり
 案の定、ポーターと添乗員は運搬料を巡って大喧嘩

 此の頃は僕達のリズムは8ビートまで上がって来ていました。
 結局1時間飛行機は遅れてジャカルタを飛び立ちました。

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(ボロブドゥール 彫刻が絶品でした)

 ボロブドゥールの歴史的価値は判りません。

 只、角を曲がって遺跡のエントランス部が見えた時

 僕の心の何処かから
 ウォー うおー と云う叫びが聞こえて来て鳥肌が立ちました。

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(押売りだらけのボロブドゥール遺跡  押売り世界一) 

 此処でも大きな日傘を持った 
 お節介野朗と御土産売りが大挙して待構えて居り 
 16ビートで押売りに来ます。

 いろんな国で押売りと戦って来たけれど
 ボロブドゥールの押売りが世界で一番手強かったと僕は思います。
  
 世界的観光地バリ島
 現地の人の住む処は汚かったねー。

 セブ島のマクタンとドッコイどっこい
 バリ島は湿度が高い分不衛生に思えました。

 道端のドブで物を洗うのはヤメテ欲しい
 僕にはドブとしか思えませんでした。

 有名な棚田と美しい高原リゾート「キンタマニー」
 山の名前です。
 もう一度言います「キンタマニー」。

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(この泥棒さる ! 本当に忌ま忌ましい)

 海岸の見える処まで来ました。

 有名な景勝地の断崖絶壁
 美しい・ワンダフルと眺めていると
 後ろからキャーッと云う御婦人の声、ナッナント 猿でした。

 アッチでは眼鏡、コッチでは帽子
 5~6人遣られてました。

 コノ猿の泥棒めー!。
 ヒンズー教の国では何処でも猿は聖なる者
 甘やかされて凶暴で手が附けられないのです。

 インドのデカン高原でも恐ろしい目に遇いました。

 バリで、もっと腹が立つのは
 コノ猿を手懐けている猿使いが居る事です。

 凶暴な猿に帽子や眼鏡を盗られても
 親切を装った猿使いにお礼を払うと
 帽子等を取り帰して呉れるのです。 

 流石人間やっぱり猿の上だね と喜んでは居られません。 

 バリ島の猿なんか嫌いだー!

 インドネシアの旅
 16ビートと押売りと猿使いとキンタマーニ。
 
 ハラハラドキドキ、・・・イヤーア・・・・タノシカッタ・・!? 

 皆さんは如何でしたか
       

    それではまた後日
     


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(御存知 バリの絶景)

王様万歳 ブルネイ 豪華絢爛 ネバーランド

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バンダル・スリブガワン 水路の街)

    
 マニラ経由で王様の国ブルネイに行って来ました。

 飛行機は満席で
 此の国で働くフィリピン人が如何に多いかが分りました。

 ガイドに聞くとブルネイ人の平均月収500ドル
 フィリピン人は400ドル弱と云います。

 モスクの外周工事に従事するOFWも見掛け
 洋裁店で働くフィリピン人の女店員さんとも仲良く成りました。

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(海岸線にある石油掘削ドンキー)

 道路の舗装は大変良く、車も新車が多く
 バンダル・スリブガワンから1時間も走ると
 国境に至って仕舞います。

 水上から陸上への移住を促進して居るらしいのですが
 未だ未だ水上住宅が住居の主流だと見えました。

 水上には学校も有り、モスクも有り、水道施設も有り
 何不自由ない環境だと思います。

 税金は無かったはずです。
 街で道を尋ねても、英語で親切に教えて呉れました。

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(王宮の施設 王宮の池)

 船をチャーターしての水上都市巡り
 タクシーを借り切ってモスク 王宮・名所巡り

 大きな野外マーケットもあり
 3日間はアッと云う間に過ぎて仕舞いました。
  
 治安も全く問題が無くコンドミニアムまで建設されており
 住んでみても面白い国だと思いました。

 只、如何にも小さく
 人口は首都にだけ密集しており

 西端の油井地帯までは
 人家がほとんど無かったように記憶しています。

 同じ石油国家でも
 ドバイとは比べ物に為らない位小さな町でした。

 ブルネイは国民が居て国王を擁立しているのでは無く

 世界一のお金持ちの国王が
 周りに人を集めて造り上げた
 ネバーランドの様な王国だと言う印象を持ちました。

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(バンダル・スリブガワンは夜も綺麗です)

 テレビを視ていると王室専用の番組が有り
 一日中王室行事を放送しています。
 《今日の王様》とでも云う番組なんでしょうね。

 権威主義と云うか
 此処まで権威的に振舞わなければ為らないのかと
 王制・王様は大変だなと同情の念さえ覚えました。 
        
 金ぴかのモスク 豪華な王宮 外交の記念館
 全て王様を中心にした豪華絢爛な綺麗で美しい建物です。

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(よく整備されたモニュメント)

 但し特徴は
 社会主義国によく有る他を圧倒する 他を寄せ付けない 
 威圧的なデザインの建物では無く

 周りに人を寄せ集めるような
 金ぴかのアジア的豪華さを競う建物だと云う事です。

 外交記念館には
 ブルネイを訪れた各国首脳からの土産品が展示して有りました。

 2時間、隅から隅まで外交の歴史を見て歩いての感想から云いますと。

 吹けば飛ぶ様な小さなブルネイ国が
 英国の支配を受け、戦時日本に攻め込まれ

 戦後植民地独立 民主化の大波の中で
 王制を保ち、独立国で有り続けて来られたと云う事は
 並大抵の苦労では無かったと云う結論でした。

 マイケル・ジャクソンの様に見える
 小柄で髭の王様
 ケシテ凡庸な家系では無かったのですね。

 どうぞ楽しいネバーランドを国民と供に造って行って下さい。
        

        それではまた後日
  

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(金ぴかの建物があちこちにあります。サンマのからくりTVのオープニングのようです。金ぴかのモスク)

イエメンに逃げた南ベトナム軍兵士 ベトナム縦断1500㌔

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(ホーチミンの元大統領官邸 現在 博物館)

 ベトナムに未だ観光ビザが必要だった頃
 南北に縦断をした事があります。

 僕の青春時代にベトナム戦争があり
 米国の敗退に拍手した立場から
 是非行って見たい国の一つでした。
 
 何故ライオンが鼠に此処まで手古摺り、不名誉を被り
 後の米国経済の凋落を招いた原因を造ってしまったのか?。
 テーマが大きすぎてトテモ僕の手には負えません。
 
 当たり前 ・・か

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(奇景 ハロン湾 映画007にも出てきました)

 ベトナムは海に張り付く様にして南北に細長い国です。
 先ずハノイに行きました。
 飛行機は霧が出て、何度も旋回してやっと降りました。

 お百姓さんは三角の笠を被り
 モッコを担いで作物を運んでいました。

 エーッ本当に未だコンナ事遣ってるんだ。
 タイでも見なかったゾ こんな事!。 

 其れもミンナがそうでした。
 そしてリズムが速い エイトビートでは無い、そう16ビート。

 面白い事に南下してダナンに行くと8ビート
 ホーチミンに行くと4ビートに成るのでした。

 ハノイでは働き過ぎで農民の過労死が有ると云います。
 私見ですが中国系の顔は北部に多かったように思います。

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(ベトナム人はアオザイがよく似合います)

 ベトナム人は民族的にはマレー系で顔が小さく
 小柄ながら足が長い
 そうアオザイがぴったりと身体に合う体形です。

 公務員や高校生が制服としてアオザイを着用している為
 アオザイはポピュラーに存在しました。

 観光客にとって有り難い事でした。
 日本のホテルでも着物如何ですかねー。

 中部の古都フエを観光すると
 此の国に中国的な永い王朝時代が有った事が解ります。

 交易の要が船だった頃には
 長い海岸線は大変な財産だったのでしょうね。

 南下するに随って中国色が薄れ
 東南アジア色が強まりホーチミンは
 バンコックと台北を足した様な町でした。

 ・・一体ドンナ町ダイ?! 
       
 ベトナム戦争に従事した米兵はフィリピンに暮らし
 サイゴンに出張し
 パタヤで遊び、中国文化と戦ったのでしょうね。

 ハノイのべトコンはフィリピン人のように
 直ぐに逃げては呉れなかったと云う事です。

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(古都 フエ)

 ベトナム戦争の終結時
 膨大な数の南ベトナム人兵士達は何処に逃げたのでしょうか。

 米国は勿論、カンボジアに、フィリピンのパラワン諸島に
 そして世界中に!。

 そんな兵士の一人にアラビアのイエメンで巡り遭いました。
 なんでイエメンなんだ!。 僕も思いました。

 彼の父親がイエメン人だったと云います。
 へーそんな事も有るのかい?。 

 終戦時19歳の南ベトナム人兵士だった彼は
 兎に角、先ずは英国に渡ったと云います。

 そして騙され・売られて転々とし漸くイエメンに辿り着き
 観光ガイドとして働いていると云いました。

 彼の案内でイエメンを一周し
 サヌアの彼の大きな家には奥さんと子供も居りました。

 やっと掴んだ幸せ・平和・安息。
 其々のベトナム戦争、其々の平和、其々の人生。
 ベトナムの事を語る時
 小柄で表情の少なかった彼の顔を思い出します。

        
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(中央の人物がベトナム人ガイドです・イエメン サヌアで写す)

     それではまた後日
       


韓国は日本の30年前か フィリピンから見たコリア

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(これが南大門 焼肉屋さんではありません)

        
 日本に一番近い外国 韓国 
 兄弟の様な国 韓国 

 でも世界中を見て
 隣合っている国で仲の良い国はまず有りません。

 人間の歴史が略奪の歴史で有る以上
 隣を攻めるのが一番てっとり早いからです。

 海に囲まれた島国
 日本は特異で且つ恵まれた国だと思います。

 仮に自分が朝鮮半島に生まれた者だと
 仮定してみて下さい。

 西に中国、東に日本、北にロシア
 狼に囲まれた羊だと思いませんか。

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 此の国に決定的に必要なのは外交感覚です。
 だから何時も外交政策で国が割れる
 3つに 4つに そして今は2つに。

 此の半島に建つ民族の悲劇。やってられませんよね!

 サハリンでコリアンを見ました。
 ウラジオストックでも見ました。

 カザフスタンでも見ました。
 アメリカでもメキシコでも

 世界中で朝鮮半島出身者を見ました。

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(中央アジアのマーケットでも朝鮮半島の人達が沢山働いていました)

 北朝鮮にも行きました。
 勿論日本にも在留韓国人は沢山居ます。
    
 シリアに行った時ヒュンダイ・サムソンの看板を見ました。
 イラクでもトルコでも見ました。

 左ハンドルの韓国車は5~10年後の世界中古車市場で
 日本を追い抜く存在に成ると思います。

 フィリピン観光ではコリアンが圧倒的観光客数を
 送り込んで来ています。

 昨年パタヤに行った時もコリアン観光客が一番
 中国が其れに次いで伸びて来てると聞きました。

 流石にヨーロッパまでは来ていませんが
 時間の問題だと思いました。

 母国が発展してこそコリアンの世界的地位が上るもの
 日本人かて同じです。

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 韓国人の友人に聞くと
 国内でも業種による賃金差は大きく

 健康保険等の社会保険は未だまだ未整備で
 所得に比べ家賃も高く生活は苦しいと云います。

 台風被害の状況を見ても河川氾濫等が多く
 社会資本の基本整備が日本と比べて
 遅れていると思います。

 ソウルに林立する30階建て住宅も
 地震が無い国だからこその利点だと思います。

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(韓国の仏像は漫画チックで可愛い)


 日本の30年前を思い出して下さい。
 ドラマ《おしん》の世界的ヒット

 映画に於ける美男・美女の起用
 安易なストーリー。

 フィリピンを筆頭にした東南アジア観光の流行
 (30年前フィリピンに押しかけた建築関係の日本人
 多く無かったですか)

 アジア貿易・世界貿易の急拡大、今の韓国と瓜二つですよ!。

 韓国は日本の30年前だと言うと
 韓国の友人は怒ります。

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(釜山の市場)

 侮辱シテルノカーって!。

 でも韓国は日本と同じ道を通って来ている事は事実です。

 韓国は日本が国内的にフェアーでない国であるのと同じ
 又それ以上にアンフェアーな国のようです。

 『ズルイ奴は何処の国でも同じ様に居る』
 韓国の友人の言葉です。

 だからニュースで見る韓国人は
 何時も「アイゴー」と言って泣いて居るんですね。
     
 日本が活力を取り戻して
 日本人に生まれて良かったと思える国にするには
 改革しなければならない課題が山積しています。

 朝鮮半島の人達には
 過去から持ち越して来た課題が有りすぎます。

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(日本人にはビックリ)

 仮に五年先に課題の解決を迫られた時
 (北朝鮮の崩壊と其れの受け入れ)
 日本にお手伝い出来る余力が有るかは疑問です。

 民族の誇りと自立の為、勢いの付いて来た国力を確立させ
 必ず来るXdayに備える必要が有ると思います・・・
 外務大臣の演説になっちゃいましたねー。

 釜山に行った時
 夜迷いながら丘に広がるお店を見て歩きました。

 洋品店でシャツを買いました。
 若い店員さんに英語で話しかけると

 チョッと驚いた様子でしたが
 にこやかに応対して呉れました。

 年配者はマダマダ嫌日感情が強く
 厭な思いをさせられる事が旅行中に有りましたが

 若い方には期待が持てると思いました。


 セブに来る韓国人は新婚さんが多く
 沢山楽しんで帰って呉れたら良いなーと思っています。

  アンニョンハセヨ  コンニチワ  コムスタカナー
             

      それではまた後日



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(サハリン ユジノサハリンスクにある韓国人経営のレストラン 宴会場 働き者の韓国人は商売でも成功している)

酋長 頑張れ 原始時代脱出 P.ニューギニア 

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(観光ガイドの酋長さん)

 P.ニューギニアはオーストラリアの影響を強く受けた国です。
 原始共産制の社会が現代に組み込まれると如何なるか
 興味シンシンで行って参りました。

  コンナ処に来る人は変った人
 以前、北朝鮮に行った時同行した方と偶然御逢いする事に成りました。
 類は友を呼ぶものですね。

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(村民は酋長の所有物・酋長の責任も重い)

 僕が思うには未だ此処の社会では
 経済的・精神的に独立した個人と云うものは極々少ないと云う事です。

  歩いた限りではホテルや工場・商業店舗は未だ少なく
 労働者として職を得ている人は少数でした。

 人間は部族が所有して居る
 其れがP.ニューギニアの今の姿でした。

 高校以上の高等教育施設も有る事は有っても極少なく
 但し学生の質は驚く程高いです。本当に驚く程高いのです!。

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(非常に優秀な高校生)

 訪問の機会が有り、学生と話してみました。
 将来の夢は、弁護士・裁判官・国会議員でした。
 総理大臣に成りたいと云う女の子も居ました。

 多分20年後には本当に実現していると思います。
 選ばれた家庭(部族長)の選ばれた能力の有る子供達ばかりでした。

 日本の普通の高校の御馬鹿な子供とは訳が違います。
 戦前の日本の高校生もコウダッタのでしょうね。
   
 急速に学制が整備され始め
 しかも子供は原始共産制の部落が抱えています。

 部落長・酋長は部落民の生活・教育に全責任を持って居るのです。
 酋長の責任は甚だ重いと思いました。

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(村主催の観光ショー)

 頭掲の半裸の酋長君
 フンドシから横チンが見えてました。

 部落の畑・家々・住民を紹介、観光案内して呉れました。
 部落民総出で作った御土産販売も有り
 観光ショウは子供まで部落民総出でした。

 酋長君は教育も有りインテリでした。
 普段の服装はティーシャツ 短パン ゴム草履です。
 夢が無くなりましたか?。

 今アフリカ迄行っても、もう本当の裸族なんて居ません。
 パンツは世界を制覇しました。

 歴史の教科書では此の後

 生産力が上昇して奴隷制、分配を巡って封建制
 商工業の発展で近代社会が生まれて来る筈なのですが。
 此処は21世紀にタイムスリップした原始共産制社会です。

 観光客も来る、豪州からの補助もある。
 民主主義も学校も法律も議会も
 テレビも英語も中央銀行も貨幣まで有るのです。

 忙しいったら有りません、順番なんか守って要られないのです。

 酋長が個人的に搾取出来る程
 部落は豊かでは有りません。

 金持ちの家と貧乏な家も無いのです。
 只、豊かな部落と貧しい部落が有るだけなのでした。

 酋長の責任はホントーに重い、重いのです。
 だから横チン出しても働くのです。

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(選挙の真っ盛り)
      
 目下一番速い儲け口は選挙でした。
 買収なんてものでは無く《殺し合い》です。

 僕の住むフィリピン・セブ島では
 お金を貰えない選挙には誰も行きません。

 平均500ペソ(1200円)が町内会長から配られます。
 此れは常識です。
 途中で掠め取られる方が問題なようです。

 日本だって僕達の親の世代では
 選挙に露骨な利益誘導が当たり前ではなかったですか。

 米国・国連は選挙・民主主義と
 水戸黄門の印籠のように持ち出しますが

 《選挙》って相当に高度な精密機械のような物で
 成熟して独立した・フェアーな精神を持った国民にしか
 扱いキレナイ物だと思いませんか。

 臣民や土民の精神では荷が重すぎる。
 だから買収が起き、買収資金を確保する為に
 汚職・収賄・国家的腐敗が起こる。


 フィリピンがその典型的モデルです。

 格してニューギニアは文字どうり「選挙戦争」が勃発していた
 と言うのが5年前の事でした。

 此れから如何なるのか10年に1度訪ねてみたい国でした。
 首相に成ると言った高校生の彼女
 何時順番が周ってくるのか僕の楽しみとする処です。
          

      それではまた後日
   

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(ラバウル空港でみつけた子供達・パンツがかわいい)


ダイエット旅行 笑顔・笑顔のスリランカ

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(スリランカは色鮮やかな熱帯の国です)

  
 スリランカのコロンボ国際空港は大荒れでした。

 6月、雷がピカピカ、雨、夜、南国、殺人的湿気
 これが僕のスリランカ到着の第一印象でした。

 兎に角熱い、夕方の4時半頃になると
 決まって大スコール20分間

 バケツをひっくり反したとは此の事です。

 雨の時に軒先から20m移動するのは
 服を着たままプールに飛込むも同然。

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(コロンボ市内)

 フィリピンのミンダナオ島と同じ北緯5~10度に位置し
 面積も同じ

 北海道をやや小さくした面積
 これがスリランカです。

 7月の東京も暑くて湿気があると思うけど
 熱帯モンスーンは小結と横綱の違いでした。

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(シギリアロック 仏教遺跡)
         
  その暑い中シギリアロックに登りました。
 200m程の岩山
 途中に大規模な洞が有り古い時代の仏像が安置してあり
 壁に信仰画が施されてありました。
 此れが有名なシギリアの美女です。  

 美女かな?・・・そういう事にしておきましょう。

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(シギリアの美女 王族のようです)

  降りて来るまで約2時間、塩の補給が必要です。
 パンツはおろかズボンまでビッショリ
 汗だくでした。

 これだけ汗をかけばダイエットには最適な旅行ですね!

 仏教徒が大半と云うInfoでしたが
 とてつもなく派手なヒンヅー寺院ばかりが目立っておりました。

 印度でヒンヅーを体験した方には分かるでしょうが
 ヒンヅー寺院の方が見ても楽しい。
 禁欲ではなくて欲を昇華させた美しさですね。

 ドキドキします。
 僕がスリランカに生まれたら絶対にヒンヅー教徒になります。
 信者が増える筈だねー!。

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(ヒンズー寺院 正直で 欲望に素直で ケバケバしいです)


 仏教も分かり易く、娯楽性を持たせなければ負けますね。

 あっ それで シギリアの美女か・・・!(納得)

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(仏教遺跡の シギリアの美女)
                  
 次に中央の高原地帯キャンディー に向いました。

 此処の国は旧英国植民地、車は左側通行で右ハンドル
 日本と同じ少数派の交通ル-ルを持った国です。

 将来、韓国製中古車が世界に溢れるだろう時
 日本の数少ない中古車顧客になる国です。

 今は日本の中古車で溢れ、キャンディーに行く途中
 一大中古車展示場の町を見ました。

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(紅茶畑が広がります)

 高原に上るに従い気温は下がり
 霧を多く見る機会が増え茶畑が出現してきました。

 子供の頃、親が贈答で頂いた紅茶を
 悪戯で試してみた時の強烈な個性の記憶、

 角砂糖を3個入れて飲んだ紅茶
 あれはセイロン・ウバだったんですね。

 それも可也の高級品でした。勿体無い事をしました。

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(製茶工場)

 高原地帯は一面の赤土地帯で
 珈琲 紅茶の栽培に適した土壌です。

 高度・朝晩の霧・低賃金等を考えると
 最良紅茶が出来て当然の土地です。

 キャンディーは日本の軽井沢 
 フィリピンのバギオの様な町でした。
 紅茶沢山買って帰ってきました。

 
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(紅茶 製品の種類も多いです)
    
 スリランカの人は笑顔が綺麗な人達でした。
 家族仲が良く、人懐っこくて、写真も喜んで撮らせて呉れて
 タイをもっと優しく 田舎っぽくした感じでした。

 カソリックのマリア像やキリスト像が街角に堂々と
 (2m程のガラスケースに入れて)展示して有るのを見ると
 ドンナ宗教もOKなんですね。

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(穏やかな笑顔の人が多かったです)

 勿論ムスリムの女性もスカーフ着用で歩いていました。
 民族対立やテロ・政情不安が伝えられていますが
 此の善良なる人達が
 豊かで 公平で 平和な暮らしが出来るよう願っております。
             

  それではまた後日
    

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(私が選んだ 現代風 シギリアの美人です。電話番号訊いても良いですか)

さらばラバウルよ また来る日まで

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(ラバウルの双子の活火山)

   
 とうとうラバウルまで来てしまいました。

 ニューブリテン島は思ったより大きな島でした。
 たぶんレイテ島の10倍

 一面の椰子の木の森が数百キロ続き
 その北端にラバウルが在りました。

 フィリピンの感覚だと島は小島
 有名な唄の歌詞からすると椰子の木の茂る
 南洋の小島だと思っておりました。

 数年前の火山の噴火で壊滅的被害を受け旧海軍飛行場も
 1m以上の火山灰で被われたと云います。

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(旧飛行場のスレッショルドに放置された重機)

  双子の火山を見渡す海岸に面して滑走路跡がありました。
 海岸(湾になっている)には温泉が湧いていて赤く濁っていました。

 湧出し口は可也熱くゆで卵が出来るほどです。
 来て観ないと分からない程独特の雰囲気があります。

 北海道の昭和新山のような、つまり南太平洋の温泉半島なのです。

 青い空、白い雲、緑の椰子の木
 黒い火山大地、煙りを吐く双子の火山、箱庭のような景色の良い湾

 そして屈託のない黒い現地の子供達
 やはり唄になる特別な場所なのでした。

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(旧飛行場で遊ぶ現地の子供たち)

 戦地で在りながら
 レイテ島の様なただ暗くオドロ・オドロしい場所ではなく

 例えて云えば、ウーン、たとえて云えば
 『兵隊姿のキムタク』のような垢抜けた戦跡
 そんな印象を持ちました。
    
 此処の人は兎に角、素朴で明るい
 黒人系のニューギニアの人種です。

 南十字星輝く夜、ホテルのディスコが何やら騒がしい
 覗いてみると30人程の若い人が踊っていました。

 顔は黒くて暗くてよく分かりません。
 young at heart で飛び入りしてみました。
 1時間ほど楽しく踊りました。みんなの笑顔がとても良かった。

 ラバウルでディスコ、 ウーンいいなあ!  いいなあ!
    
   なにが? ・・ なにかが! 
             
  それではまた後日
     

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(ラバウルの戦争博物館にあるゼロ戦の残骸)

北朝鮮のピラミットHOTEL

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(板門店の北朝鮮兵士)

 韓国の太陽政策が最盛期の頃北朝鮮に行った事が有ります。

 旅はチャンスでここぞと云う時に迷わず行かないと
 前後で扉は閉まってしまいます。

 此の時は近畿日本ツーリストの主催で行きました。
 名古屋空港を離陸し
  ピョンヤン空港着陸に向け高度を下げ始 めた機内で
 動揺が起こりました。

 『オイ、此の国変だぞ、車が全く走ってないぞ!』
 誰かが騒ぎだしました。

 綺麗に整備されたコンクリートの道に
 自動車が走っていないのです。

 機は着陸し窓から空港ビルが見えました。
 ドアが開きました。

 其処で云われました《後ろの席の人から降りて下さい》
 モラルが大事なのです。

 かくしてドア最前列の乗客はぶつぶつ言いながらも
 最後まで待たされる事となりました。

 この飛行機、古くてエアコンが壊れており
 団扇が座席に備えてありましたが

 トイレの便座はステンレス製でピカピカに磨いてありました。

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(ピョンヤン空港)

 到着第一日目は強烈なカルチャーショックを食らいました。

 ホテルは市内中心の羊頭角ホテル、河洲に建つ立派な施設です。
 日曜日、テレビ番組は2つだけ、ドラマ番組を視ました。

 戦前の朝鮮半島

 日本人の中学生から殴る蹴るの暴行を受け
 失明の傷を負った美しい女学生が家族・友人・医者の温かい介護で
 視力を取り戻していくと云うストーリーでした。

 日本は憎まれているんだ!。

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(羊頭角ホテルからピョンヤン中心部を望む)

 同行者の女性が
 マッサージを取ったと言うので聴いてみました。

 『料金は三千円だが、貴方は日本人だから六千円だ』
 と言われたといいます。
 
 日本はまたまた憎まれてるなあー。

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(北朝鮮側から板門店を望む)

 翌日、板門店に向かいました。

 60㌔の道程、出会った車は5台だけ。
 ソウルの自動車地獄と排気ガス汚染は何なんでしょう!。

 戦争記念碑を見に行く時も隊列を組んで歩かされました。
 道を曲がる時、最後は矢張りバラバラになりました。

 開城でみた兵隊は子供かと思う程みな小さかったのです。
 男で160㎝程度。栄養状態が恒常的に悪いのでしょう。

 板門店の北朝鮮兵士は180㎝平均、見栄張ってるねー。

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(子供達が一生懸命オルガンを弾いてくれます)

 三日目、小学生の英才教育学校を訪問しました。

 孫のような子供が一生懸命アコーデオンを弾き歌って呉れます。
 最後の『アリガトウございました』の子供達の合唱に
 
 一同、堪え切れずに涙しました。

 夕方、ホテルより丘の斜面に群居する勤労者住宅を見ていました。

 夜8時より点燈が許されているとの事です。
 果たして如何にと見ていたら。

 7時半からの点燈が1~2%程、8時に20%、8時30分に70%
 ヨーシまずまず合格!。
      
 ホテル20階から工場が見えました。
 全く稼動していません。

 自動車はベンツが有りますが殆ど走っていません。
 市内電車はあります。

 発電所らしき煙突もありますが
 黒煙が立ち、燃料の質の悪さが解ります。
 石油が無いのです。

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(巨大なピラミッド型ホテル 頂上部が未完成です)

 市内中央に建つピラミットのような巨大ホテルは
 上部5~6階部分が未完成で放置されていました
 セメントが無いのです。

 この街はモスクワのミニチュアです。

 中心部のオフイス街、地下鉄
 国立サーカスの建物の位置までソックリ其の儘モスクワと同じです。

 地方のホテルに在った枕元の施設案内書も
 最初の外国語はロシア語で書かれていました。

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(小学生がマスゲームの練習をしていました)

 現在、社会主義国は3ヶ国、ベトナム・キューバ・北朝鮮だけです。
 中国を社会主義国に数える人は居ないでしょう。

 何れも米国と戦い負けなかった国ばかりです。
 ソ連崩壊の影響はキューバにも大きいですが
 カリブ海社会主義は陽気で、深刻には思えませんでした。

 ベトナムはアジアの国としてユックリ発展しています。

 日本にソックリな国、北朝鮮が一番苦しんで居る様に思えました。
 優秀な国民です。
 道徳の主体思想を持っています。

 国難を乗り越えようとする国民の意気は盛んです。

 しかし如何せん世襲の指導者が悪すぎました。
 優秀な社員を抱えた同族会社のようなものです。

 破滅的結果を導きだす前にゴルバチョフのような
 良頭が現れるのを期待したいと思います。 
           

   それではまた後日
       


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(市内中心部にいた北朝鮮軍の女性兵士さん 純朴そうです)

御椀の船でドンブラコ(印度デカン高原の旅)

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(デカン高原中部の湖で 御椀の船に乗りました)

 デカン高原はやはり高原でした。

 あたりまえか? 

 でも僕達が考える高原の規模では有りませんでした。

 印度中部
 東海岸を出発しヒタスラ西進し西海岸ゴアに辿り着く少しまえ
 西カーツ山脈(1200m程)に出会うまでは

 高度計は400mを前後するのみでした。

 広大な高原でした

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(こういう岩だらけの景色が延々と続きます。前方は畑です)

 延々と続く砂の大地、赤い大地。
 大きな森も見ず、山も見ず、僅かな草原と広大な耕地。

 文字で記録された歴史などほんの数千年
 此処での人の営みは数万年。
 そう思う程 すべてが耕作されつくした場所でした。

 14日間Hotelを出発朝7時

 バスが田舎のハイウエーを走り始める頃
 地元の子供や男性は
 家の前の草原に出て《眺めの良いトイレタイム》。

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(オリッサ地方の民族衣装 カラフルです。女性は綺麗です。左二人目は日本人です)

 右手に牛乳壜を持ちしゃがんでニコニコ
 印度の服はタップリした筒の様なのはこの為か

 なるほどね!。
 牛乳瓶の水洗は清潔だはさ。
              
 10億人がトイレットペーパーを使ったらドウナルカ。
 唯でさえ少ない林は無くなります。この国では石油は採れません。
 だから水力発電。

 ダム建設の写真を見たら、重機を使わず人海戦術
 ダムの足場を何万人が
 蟻のように籠を頭に載せて上がって行くのです。

 蟻のようにです。

 ピラミットはこうして造ったのかと納得させられました。

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(遺跡修復工事)

 遺跡修復工事で水が必要な時日本ならポンプを使います。
 遠ければ給水車を使って運びます。
 此処は人海戦術、1㌔を100人が頭に瓶を載せて運ぶのです。

 其れがぜんぶ女性なのです!。
 男は何をしているか。敷石を削っていました。

 単純労働は女性。
 印度の女性は粗雑で気が強いと思っていましたが
 強くなければ生きられません。

 《イスラムは女性蔑視だ、妻を外にも出さない、顔も曝させない!》

 と非難されますが
 真っ黒になって蟻やロバのように働いているヒンズー
 印度の女性は如何なんだろうと思います。

 そこの女性、あなた、印度に生まれなくて良かったですね!
 本当に本当です !。

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(陽気な若者たち)
 
 列車で旅をする、駅に着く、夜中。
 駅に人が住んでましたよ、家族で、千人以上。

 フィリッピン人可哀想、『アコ・プアー・貧乏ネ』と嘘泣きしている
 其処のフィリッピン人

 印度に行って腰抜かすなよ!。

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(信じられない 全裸のジャイナ教信者 車窓から 鉄道駅構内で写す)


 印度の列車は英国仕様で大きいのです。
 駅で停車し同行者とゆったり話をしていると
 黒い物が何か窓の外を通り過ぎました。

 エッ・えっ・エえーっ。 今の見た? 見たよ! 
 錯覚じゃーないよネ? そうだと思う。

 列車が動きだしたので先程通り過ぎた物に追いつくはずです。
 一同 立ち上がって窓の外を擬視しました。

 やっぱり本当だ。黒い物は『素っ裸の人間』だったのです。
 日に焼けて真っ黒で
 男性で、体格がよく、立派な一物を着けていました。

 近くの座席の印度人があれは(ジャイナ)だと言いました。

 仏教よりも経典が難かしく
 徹底した不殺生主義の宗教らしいです。

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(都会のジャイナ教寺院)

 虫を殺さない為に根菜類は食べず
 祈りの時虫を吸い込まない様にマスクを着用すると云います。

 都市に住む信者は銀行家を職業にする人が多く
 田舎に住む信者はああなる、と云うことです。

 周りの人も別に気に留めてない様に見えました。 

 印度おそるべし!。

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 (ようやくゴアに着きました。アラビア海です)

 そんなコンナで西海岸のゴアに着き
 フランシスコ ザビエルの棺等を見て帰ってきました。

 印度の底深さに圧倒された2週間でした。

 ああ疲れた。
              

 それではまた後日
     


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(石の遺跡がいっぱいです)

CAMBODIA 2002

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(虐殺の記念館に行くと オドロオドロシイ 骸骨が展示されています)

 2002年1月シェムリアップからカンボジアに入り
 プノンペン周辺を含めて歩いた事が有りました。

 大変な悪路で チャーターした車は毎日壊れ
 翌日は新しい車を使いました。

 当時 北京は半年見ないと別の町に成っていました。
 プノンペンは 3ヶ月で別の町に成るだろうと思いました。

 只、気になったのは都市の狂騒に比べ 農村部の静寂で
 都市部を一歩外に出ると全て 田圃 畑 林の広大な平地です。

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(農村には どこも同じような 家々があります)

 飛び込みで集落に入ってみると
 どちらがお爺さん お婆さんか判らない
 仏教衣姿の老夫婦に出会いました。

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(田舎の村には屈託のない笑顔があります)

 クメール民族は婿入り婚の農業に適した社会です。
 1000年変わらない様な農村が点在していました。

 この国にカンボジア人の娼婦は居ません。
 それだけ安定した農業社会 家族があるのです。

 ただし平等に貧しく、農業家族の崩壊が少ないだけ
 都市も大きなものは少ないのです。

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(実家 母親の家の周りに娘達が家を建て 一族で仕事をしています)

  夜、車を走らせると
 収穫が終わった彼方此方の田圃から
 稲藁を焼く火が揺らいで見えました。

 何んとも云い得ない気持ちになります。
 小さな集落を通り過ぎると
 バッテリーの電球を燈した店の周りに
 人がたむろして居ました。

 
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(プノンペン市内)
  
 クメールルージュの時代
 300万とも400万とも云われる犠牲者を出したのは何故か。

 社会主義が悪いのか、中国の援助が悪かったのか
 ポルポト個人が悪かったのか。

 歴史は未だ判決を下してはいません。
 取り合えず戦乱を止め国際的経済支援で
 復興を開始したばかりでした。

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(プノンペン市内)

 ヒステリー的大量虐殺を招いたのはジェラシー
 嫉妬だとも謂われています。

 都市の浪費 射幸心 繁栄が
 社会主義で平等意識に目覚めた農民の敵愾心に火を点け

 教師・技術者等の都市インテリ層の虐殺を起こさせたのだ。
 とも云われています。

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(選挙運動の車)

 其れでは今の状況は昔への後戻りではないのでしょうか。

 誰も過去を清算しては居ないのです。
 虐殺記念館の骸骨の展示を見て僕はゾッとしました。

 カンボジアの人達は実に優しい勤勉な仏教徒です。
 良い人が大量虐殺をやったのです。 嫉妬で!。

  其れこそが恐ろしいと思いませんか。
 日本人は大丈夫ですか
 僕達の国民病である(イジメ)はどうなのでしょうか。

 同じ病巣を持っては居ないのですか。
 僕達自身の内に棲む狂気にゾッとしました。
         

      
    それではまた後日
   

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(子供達はホントーに明るい)

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