Blog Book of Captainyama

76ヶ国の海外旅行記です。 1999年からの世界旅行を2007年6月までのセブ島滞在中に ブログにしたものです。

欧州

トレド 生涯にもう一度行きたい街 スペイン

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 (トレド全景が見渡せる丘のうえで)

 貴方にとって生涯にもう一度行きたい街は何処でしょうか。
 僕はトレドです。
 3回目の海外旅行でスペインに行きました。

 娘と共に。
 其れまで長い旅行はした事が無く
 何をスーツケースに入れるべきか知りませんでした。

 其れで小さな手提げ鞄一個
 「旅慣れてるねー」と言われ上機嫌で居ました。

 その結果、目覚まし時計が無くて寝過ごすわ
 うがい薬が無くて風邪をこじらせるわ
 スリッパが無くてホテルで不自由するわ、で大変でした。

 携帯品の量は旅の回数を重ねる内に増大し減少し
 その結果、最大効果で最少量に質的に向上する物です。

 怖い思いをしながら
 磁石 地図 鍵 薬 電池 防寒具 履物 財布 バッグ
 飲み物 非常食 現地への御土産 防虫品等々
 知恵が付いて来るものです。

 此の時はファッショナブルなマントを纏い革の長靴を履き
 短期多観光のパックツアーには凡そ似合わない服装でした。

 だからアッチでもコッチでもエッ エッの連続でした。

 野次喜多珍道中です。

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(風車小屋の前で・・・ドンキホーテな二人)
 
 エル・グレコの作品は御好きですか。

 スペイン・ルネッサンス期の画家エルグレコ。
 十数年程前、上野の西洋美術館で特別展が開催された時
 観に行き、それ以来大好きに成りました。

 トレドにはエルグレコが溢れて居ました。
 彼は此処で、73歳で没するまでの37年を過ごし
 教会や町の為に実に多くの作品を残しています。

 エルグレコ無しにトレドは語れません。

 西洋ケーキのコンクールで見た
 メルヘンチックなデコレーションの巨大ケーキ。

 お菓子のような、ケーキのような
 御伽噺や童話に出てくるメルヘンの世界。

 それがイベリア半島の高原の街トレド
 スペインの宝石トレドなのです。

 トレドに着いたのは10日間のパックツアーの7日目
 ミラノでの長時間のトランジット。

 一日10時間以上の高速バス移動。
 時速120㌔は出ていると思われる高速バスは
 トルコ フランス スペイン旅行の特徴です。

 低料金・定番の人気旅行でバスに余席は有りません。

 参加者は70歳代前後の高齢者が多い旅。
 参加者はもうフラフラでした。

 石畳でアップダウンが多いトレドの街
 遠くから観るとメルヘンで宝石のような街トレド。

 疲れた身体で歩くとキツイわ本当に!。

 三晩位時間を取り
 ゆっくり暮らすように楽しむトレドの旅、最高の贅沢でしょうね。

 如何ですかcaptainyamaお奨めの特選の旅。

 石畳の路上カフェで珈琲を啜り
 千年の都の建物の隙間に身を置き
 イベリア半島の空を流れる雲を見上げながら
 御自分の来た人生を振返ってみるのも旅の醍醐味では有りませんか。

 奥様を横にして!

     それではまた後日

雪の日の リラの僧院 ブルガリア

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 3月のある雪の日にリラの僧院を訪れました。

 世界遺産のテレビ番組で紹介され
 番組音楽の素晴らしさと相俟って
 是非行ってみたい海外旅行先でした。

 吐く息が白くなり、少し融けかかった雪道を歩き
 入り口のゲイトをくぐるとリラの僧院が有りました。

 アーチ形の外廊に入りました。
 白と灰色の模様の独特な色合いのアーチです。

 でも期待していた物とは何処かが違います。

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 何処なんだろう
 敷地を隈なく歩き建物を検証してみました。

 リラの僧院本体は幾度も火災に遭った歴史があります。
 幾度も修復を重ねて来た建物です。
 白と灰色の模様は当然
 石組みで造られた模様だと当り前に考えていました。

 ローマ遺跡だけでなく中世のお城遺跡もそうです。
 石組みアーチです。

 でもリラの僧院のアーチに有る二色の模様は
 塗料で塗って有りました。

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 創立当初は如何だったのでしょうか。
 火災後の修復で費用が無いから塗っちゃったのでしょうか。
 ガッーックリきました。

 テレビ番組がよく出来すぎだったのでしょうね。
 庭に薄く積もった雪で、雪達磨を創って置いて来ました。
 僕の芸術作品誰か見て呉れたでしょうか。

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(私の雪ダルマ)
                   
 ブルガリアは黒海に面しトルコと国境を接する小さな国です。
 ソ連に占領された旧社会主義国でした。

 イスラム教とキリスト教の宗教的境の国でもあったのです。

 あらゆるボーダーが存在した国なのです。
 詳しくは知りませんが
 サゾヤ大変な歴史を持って居るのだろうと思います。

 私の感想では
 ブルガリアは一寸変わっては居るけれど
 完全な西洋の小さな国でした。

 今回一緒に周ったルーマニアよりも
 遙かに西よりの文化の国でした。

 小さな国は体制変革後の立ち直りも速いですね。
 それとヨーグルト
 日本のブルガリアヨーグルトと全く同じ味でした。

 御土産にミニチュアールの絵を買って来ました。
 イランの細密画のようでブルガリア人の心の繊細さが分ります。

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 黒海に面した街でドナウ河デルタのクルーズをしました。

 この街の労働者住宅は
 ロシア型の五階建て住宅が多かったです。

 そして自動車の排気ガスで空気に色が付いていました。
 薄紫色でした。
 街を一時間も歩くと眼が痛くなり、涙が出てくるのです。

 そんなに車は多くないのですが
 社会主義時代に製造した自動車は
 排気ガス対策が全く無かったのですね。 

 自由・平等・人権の実現の為に創造された社会主義は
 制御出来ない権力の集中の、罠にハマって
 自ら崩壊したのですね。

 排気ガスが象徴しています。

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 (ブルガリア美人 美人が多いです)
           
 今回は二国を歩きました。
 ヨーロッパの外れで
 ドラキュラ伝説とチャウシェスク独裁で有名なルーマニアと 
 宗教・体制の境目の国ブルガリアです。

 此の二国は全く違います。

 繊細なブルガリア人に対して
 ルーマニア人は大雑把でロシア的粗暴さが感じとれます。
 韓国人と日本人よりも違いは大きいと思いました。

 ルーマニアからの帰国の際
 ブカレストからウィーンを経由して成田に帰る事に成りました。

 団体チェックインでカウンターに並び
 荷物は成田まで直行だと云う事を
 チェックインのスタッフに念を押しました。

 すると突然・・トツゼン・・突然です。

 女性のカウンタースタッフがキェーッと
 居合い抜きの気合のような声を上げ
 「成田だって言ってるだろう!」と現地語で一声怒鳴ったのです。

 その余りの迫力と突然の予想もしていなかった出来事に
 周りに居た30人の日本人一同
 声を失ってしまいました。

 モスクワを始め
 旧ロシア系の国境では
 女性の係り官にはヨクアル事なのです。

 暗闇からシェパード犬に突然吼えられたようなショックでした。
 ルーマニアは未だ旧態のロシアだったのです。

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 ( ドナウ河デルタの町の勤労者住宅 ロシア的団地です)
    
 斯うしてリラの僧院をみて
 黒海沿岸を楽しみ
 アチコチの田舎の風景や地元の人たちと触合い
 10日間は過ぎて行きました。


 この地域は修道院以外、然したる文化の蓄積も無く、
 バルカン半島自体が文化の果てる処
 だったと云う事を確認しました。

 是だけでも大きな収穫だったと思います。

 50ヶ国以上旅した人の行く所でした。


 追加で一言 ブルガリアの女性は美人が多かったです。
 本当です。
 証拠は下の写真です。 

 どうです 綺麗でしょう


   それではまた後日


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(レストランで見つけたブルガリア美人)
  

小便少女さん を訪ね迷って 1時間 ブリュッセル


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 (御存知 小便小僧)     
 
 ベルギー・ブリュッセルの世界遺産グランプラス
 其の脇道を200m程入ると
 コレマタ超有名な「小便小僧」の噴水が有ります。

 観光客は必ず此処で写真を撮り
 小便小僧さんて小さいんだねーって感想と溜息を漏らします。

 小僧自身は身長50㎝程しか有りません。

 グランプラス広場の博物館「王の家」には
 各国から贈られた小便小僧の衣装が展示されています。

 日本からは桃太郎の衣装が寄贈されて居りました。

 小便小僧は人気者
 世界で知らない人が居ない程
 陽の当たる処に有る存在です。


 其の経済効果は幾千億円か量り知れません。

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(世界一美しい広場と云われる グランプラス)

 では便乗したとしか思えないのですが
 ブリュッセルに《小便少女》の像が有るのを御存知ですか。

 ガイドブック片手に捜して参りました。

 グランプラスを挟んで小便小僧と反対側の方角で
 距離にして500m程の所でした。

 石造りの建物が立込んでいて
 非常に判り難い場所に有りました。
 レストラン街の真ん中でした。

 5~6箇所のレストランのギャルソンに聞きました。
 
 教えては呉れるのですが
 道が迷路のようになり角が多すぎて
 僕が迷わない様にするのが精一杯でした。

 ベルギー人は英語で聞いてもキチンと応えて呉れます。
 フランス人とは違います。
 「statue of little girl」を会話に入れて聞くと判って呉れました。

       
 小便少女は行き止まりの脇道の奥
 右側の壁の中に有りました。

 薄暗い路地で、治安悪そうで
 湿気があって、汚い所でした。

 夜6時まで公開されていると
 ガイドブックには書いて有りましたが

 僕が行った5時には
 既に鉄格子と南京錠が掛けられて居りました。

 人通りの死角になる場所なので
 終日鉄格子が掛けられて居るのかも知れません。

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(小便少女)

 鉄格子の間から撮った写真は全体が巧く撮れなくて
 変な写真になり誠に申訳有りません。

 僕の趣味では無いので念の為!。


 写真に見る通り噴水に為っている様なのですが
 
 男の子のアッケラカンとした微笑ましい小便小僧と比較して
 女の子版はもう少し展示方法も含めて
 工夫して欲しかったなーと残念に思いました。

 小便少女を探し当ててホッとしてグランプラスまで戻る事にしました。

 ブリュッセルはパリよりも小さく纏まって居り
 ズット垢抜けした街です。

 石畳も綺麗で不思議に、夜撮った写真が
 スコブル綺麗に写っていました。

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(ブリュッセル裏道の夜景)

 町を挙げて
 夜景の有り方のプランを持っているのかも知れませんね。

 話が跳びますが
 札幌の大通り公園の冬の夜景も計算されていて綺麗ですよ。
 是非見に行って下さい。

 ベルギーとオランダを6日間程で歩いたツアーでした。
 小さい国は人の心も繊細で親切で
 存在理由としての強い個性も有って楽しい旅行でした。

 1月末の安い時期でしたが北海道よりは暖かく
 雪も無く
 人も少なく人気観光地ブルージュは
 人が写っていない風景だけの写真が撮れラッキィでした。

 此の時撮った夜景の写真は
 私のパソコンのデスクトップにも設定してあり
 今でも楽しんでいます。
     

     それではまた後日
      


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(ブリュッセル裏道の夜景)

夫婦旅行はスイスで決まり 仲直りにも最適


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(マッターホルン)

      
 モスクワからカサブランカに向う途中

 アルプス上空の雲が消えミニチュア箱庭のように
 スイスから北イタリア一帯が見渡せた事が有りました。

 真っ蒼な空、白い雪のアルプス、ブリリアントな光景でした。
 機内ではツェルマットが見えた
 インターラーケンだと地名が飛び交いました。

 生涯に幾度も無い機会です。

 面積は狭くても複雑に山脈で分断され
 個性的な風景が場所場所で現れるスイス。

 飽きの来ない絶品の風景です。

 スイスに毎年来る日本人の方も多いと云います。
 別荘を買ってしまった方もいらっしゃるとか。
 でも越冬は厳しそうですね。

 僕が行ったのは6年前の7月下旬
 最良の季節の始まりでした。

 でも寒かった
 モンブランは吹雪でロープウエーが動かず。

 ユングフラウ・ヨッホで堪らず冬用ジャケットを買い込みました。
 其れでも寒く、ウーンと縮こまっていると。

 色白のポッチャリ顔の至極上品な御夫人が
 そっとスカーフを貸して呉れました。

 千ドル以上もする欧州有名ブランドらしいです。
 他の方から聞きました。
 どうも有難う御座いました。

  惚れちゃってイイですか?。

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(スイスの高原鉄道・世界最高の車窓風景)

 ツェルマットから高原鉄道に乗り
 マッターホルンが見渡せる処まで行きました。

 3500mだと聞きます。
 そこでタンゴ 踊りました。
 仲良くなった御夫婦の奥様をお借りして。

 スイスは何処を撮っても美しく、絵になる風景です。
 多分地球上で一番日本人好みの良風景地帯でしょう。

 高原特急に乗り
 トンネルを抜け峠を越える度に歓声が沸き興ります。

 其れだけ綺麗なんです。
 しかめっ面の人は居ません。
 夫婦が仲良く成れる処、ツァー同行者とも親しく成れます。

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(レマン湖畔にたつ古城)

 あてられっぱなしは面白く有りません。
 天邪鬼のcaptainyamaの小話を一つ。
   
 英国旅行中にツァー添乗員に聞いた話です。

 彼女の欧州添乗ツアーのとき
 何時も喧嘩をしている御夫婦が居たそうです。

 何時も何時も口喧嘩
 『御前なんか連れて来るんじゃなかった』
 『なによアナタなんか置いてってやる』
 旅行に何しに来たのかと思える程だったと云います。

 何時も最後部に座り
 御主人は髪が薄く大きめの帽子を被って居たそうです。

 長距離バス移動の途中
 トイレ休憩でバスストップした際
 10分・15分と時間を決めるのですが

 其の時は即決出来づに
 半分程の乗客がトイレに急いで降りた後に決まったそうです。
 
 皆さんに伝えて下さいと云い
 時間までに皆さん集ったそうです。

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 添乗員はもう一度、お客様の頭数を数え
 よーし40人間違い無い。
 出発進行! と運転手に号令を掛け

 バスはスルスルと駐車場を後にしました。

 ヤヤ行くとバスの後方から
 必死にバスを追い駆けて来る日本人らしい
 老齢の男性に気が付きました。

 彼は汗だくで、置いて往かれまいと必死で
 バスの後を叫び乍追って来たと云います。

 急いでバスを停めると。
 不仲夫婦の御主人でした。

 奥さんは誤った出発時間を御主人に伝え
 御主人の帽子を右手で支え
 彼が座席に座って居るかの如く見せ掛けて居たのです。

 怖ろしやオソロシヤ熟年離婚一歩前!。

 スイスではコンナ事件は絶対に無いでしょう。
 兎に角、風景が綺麗でウオー ウアー スゴーイの世界です。

 熟年離婚二歩手前の御夫婦の方
 スイス旅行をお奨め致します。
            
      
    それではまた後日

             

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(地球には、こんな美しい景色があるのですね!)

ブダベスト市内 夜の迷子旅 日焼けサロン発見

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 (漁夫の砦・白い大理石が奇麗です)

    
 初春の3月、ブダベストに行きました。

 相変わらずの夜の一人旅
 タクシーを飛ばし夜の鎖僑を渡りました。

 レストラン・劇場・繁華街
 ガイドブック片手にタクシーを乗り継ぎ
 Mateホテルまで2㌔と思える場所でタクシーを捨て
 夜のブダ地区を歩きました。

 30分程歩く積りが何時の間にか1時間
 通行人に道を聞くと英語で快く教えて呉れます。

 其の通り歩くと、坂道の三叉路に出ました。

 右に行くと教えられていたので一番右の道を選び
 更に30分歩き
 迷った事を自覚しました。

 ブダ地区はポルトガルのリスボンと同じく坂の町です。
 アップ・ダウンを繰り返し
 地図が其の侭では機能しない町だったのです。

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(ブダペスト くさり橋)

 其れから15分於きに通行人に尋ね
 其の度に英語で親切に答えて貰いました。

 そして3時間、10組程のハンガリー人に道を聞き
 気が附くとヒルトンホテルの裏口に出ておりました。

 ホテルのスタッフに頼みタクシーを拾い
 (マテ・ホテル)まで帰って来れたのですが
 本当に直ぐ傍だったのですよ!。

 迷子の途中、日焼けサロンに出会いました。

 古い石造りの建物の1階に青い燈が見え
 近ずくとマシンの蓋を開け
 受付に女性のスタッフの姿が見えました。

 如何やらマシンは1台だけの様でした。

 ブダベストで日焼けサロン、いいねー
 焼きたいねー、絵になるねーと思いましたが
 今は迷子の身分
 深刻な顔をして歩く事に決めました。
     
 翌日、漁夫の砦近くの楽器博物館に行き
 ジプシーの楽器や古いヴァイオリンを見ました。

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(Mathias Thir マスィアス・スエー 1773年製作・ウイーンの楽器・相場で2万ユーロ)

 そうかヴァイオリンのケースを買って帰ろうと
 ガイドに相談すると工房に案内されました。

 ついでに古いヴァイオリンは無いかと尋ねると
 230年前の物を持って来ました。
(マスィアス・スエー 上掲のバイオリン)


 補修の具合も良く値段も程々でしたので
 全ドル札を掻き集めて買い取る事にしました。

 今も私の宝物の一つに成っております。

 工房に居ると次々と音楽家が来店し
 修理した楽器を持って帰ります。

 ガイドに聞くと
 『皆ジプシーですよ、定職も無くて大変ですねー』と言います。

 音楽家の社会的身分は高くはない様に思えました。

 其の日の夜
 夕食は高台のレストランで豪勢にやると言う事で楽しみにして行くと
 昼間に工房で会ったヴァイオリニストが出演して居り
 見事な(ジプシー音楽ショー)でした。

 ハンガリーに実際に行ってみて
 此の国が近隣のルーマニア・チェコ・ポーランドと比べてみても

 国力・文化・人間の教養に於いて遙かに上で
 旧共産圏だったとはとても思えない
 と言うのが僕の感想です。

 高価なヴァイオリンで腕は上ったかい? って 
 いいえ勿体無くて飾って楽しんでおります。


                それではまた後日
    


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(ブダペストのバイオリン工房)

英国湖水地方 ピーターラビットの旅  風を楽しむ旅

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(湖水地方の長閑な風景)

     
 四月 春 やや寒い英国湖水地方を旅しました。

 エジンバラから8日掛けて南下しロンドンに至る旅でした。
 此の地方に山は有りません。

 丘陵と湖水地帯、殆どがやや起伏の有るうねった地形
 北海道の富良野に似た地形
 ゴルフ場の様な地形、ゴルフ発祥の地と聞き肯けました。

 英国風写実絵画のテーマは
 何時も田園風景と海戦風景
 此の印象を持って居る方も多いと思います。

 将に此のとうりの田園風景でした。

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(ピーターラビット発祥の地)

 僕の旅は何時もドキドキする様な
 何か(世界で一番)が有る旅です。

 地雷が埋まって居る様な、鳥葬が有る様な
 高度4000mを越える様な
 BBCのニュースで見る様な旅でした。

 でも英国には何も有りませんでした。

 只々平和で清閑で林が有って空気が冷たくて湿気が有って
 ソンナに大きな町も無く
 英国は中程度のヨーロッパの国でした。

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(御風呂の語源 バースの町)

 インドのムンバイに有る
 国鉄駅前広場の壮大なスケールと美しさを知る僕にとって
 大英帝国は偉大な国です。

 19世紀壮大な足跡を残し
 20世紀にも世界史のリーダーに成った国

 でも本国を見てみると普通の国、とり立てた産業が有るでは無し
 ロンドンにしても特別な都市と云うでも無く
 人に狂気な活気が有る訳でも有りません。

 スペインのマドリッドを見ても其れは同じ事です。

 産業構造が変り
 国勢の順位が変る中でヨーロッパ全体が
 《斜陽の時代》にはいった事は動かし様の無い事実のようです。

 対して中東の人口増
 中国を含めたアジアの狂気的発展を見ると

 50年後の世界は今とは全く違う勢力図に成っている
 だろう事は誰が見ても明らかだと思います。
      
 人口減に歯止めが掛らず主体的外交も選択出来ず

 内部改革も思うに任せ無い日本は
 対外債務 資産の踏み倒しに遭いながら
 ジリ貧で落ちて行くだけなのでしょうね。

 多分歴史の必然の渦の中に
 既に深く・深く巻き込まれてしまっているのだと思います。

 《失われた15年》1990年が
 日本に執っても其れ程大きな歳だったとは
 アノ時は夢にも思って居ませんでした。

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(国会議事堂)

 英国湖水地方の旅は結局
 浸って楽しむ旅なのだと思います。
 夕方、気の知れた同行者と田舎のパブに行きました。

 ワングラス200円程度のビールをセルフサービスで楽しみました。

 東京オリンピックの時日本に行ったと云う
 英国人の叔父さんと話し込みました。

 田舎の町の散策の途中
 3時のティーセレモニーを楽しみました。

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(バッキンガム宮殿の衛兵)

 8日間ズッート一緒だった
 スコットランド訛りの運転手君と別れる際には
 涙が込み上げてきました。

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(スコットランド訛りの運転手さん)

 退職した商社マンの御夫婦とは
 北京の話で教えて貰う事がトテモ多かったです。

 当たり前の旅行なのかも知れませんが
 僕にはエキサイトする旅ではなく、肌で風を楽しむ旅でした。

 冷たく湿気った湖水地方の旅
 いつか何処かで又思い出す事でしょう

 皆さんの笑顔と共に。
                 

      それではまた後日
   
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(楽しい旅をありがとう)

マゼラン終焉の地 セブ 哀愁のリスボン べレンの塔

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(エンリケ航海王子の大航海記念碑)

        
 
 リスボンに有る
 エンリケ航海王子の大航海記念碑を見ました。

 港の湾口近くには
 ポルトガル人船員マゼランも見たであろう
 白亜のべレンの塔も有りました。

  ポルトガルの港町
 ポルトー リスボンと見て来て
 何か懐かしい風景に出会った様な気がしました。

 何処で見たのだろう・・其れはセブでした。

 セブのコンドの窓を開くと
 セブの港湾とマクタン島が見えます。

 僕は今
 マゼラン終焉の地フィリピン・セブ島に住んでいます。

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(コンドから見えるセブ港・水路の向こうがマクタン島)

 1521年太平洋を横断しきったマゼランが
 香料諸島やインドに急がず

 何故マクタン島征圧に走り
 片足が悪いのにも拘らず遠浅の珊瑚礁に下り

 海岸に足を捕られ
 現地土民に殺される愚を冒したのか。

 答えは港湾としてのセブの地形にあったのだと思います。

 当時の大砲の射程は精々1㌔

 港防衛には対岸距離1~2㌔の
 水路のような港湾が要求されていたのです。
 インドのゴア然り・イスタンブール・リスボン然りです。

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(ポルトガル・ポルトーの港)

 マクタン島はセブ本島との間に
 最短1㌔の水路が5㌔に渡って走って居ります。

 当時の軍事常識からすると稀に見る良港だったと思います。
      
 フィリピンでは最小行政単位を
 バランガイ(少し大きな町内会)と云います。

 町内会長をバランガイ・キャプテンと呼びます。

 圧倒的火力で此の一帯の酋長を恭順させたマゼランに対し
 マクタン島の酋長 町内会長 バランガイキャプテンの
 ラプラプだけは臍曲りで首を縦に振りませんでした。

 業を煮やしたマゼランは
 『この土人成敗してくれる』とばかり桃太郎侍の様に

 ヴィクトリア号他 計3隻のガリオン船から
 マクタン島のラプラプ拠点に目掛けて
 大砲をバンバンバンバンバッババンと撃ちまくったが届かず。

 (現マクタン空港滑走路口辺りだと推測
 ここは今でも1㌔程の超遠浅の珊瑚礁地帯です。
 全長26m・排水量90tのヴィクトリア号でも近づけません)

 功を焦ったマゼランは船を降り
 鎧姿に抜刀し
 膝まで海に浸かり岸に向ってウオーッと歩きだした。

 待ってましたとキャプテン・ラプラプ
 海の中ならコッチが有利とばかりバッバッバッと弓を射ち
 手下大勢で迎え撃ち
 マゼラン以下多数のスペイン船員を討ち取ってしまったからさあ大変!
 (講談調で書いてます)。

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(英雄ラプラプの像・マクタン島、マゼランが討取られた場所にあります。
隣にマゼランの墓のような記念碑があります)

 此の後、主を失った艦隊は迷走し
 スペインに帰還できたのは僅か18名だといいます。

 一方勝ったラプラプは如何したかって?。
 程なく他の酋長の騙まし討ちに遭って
 亡くなったと伝えられて居ります。

 残念 無念 
 但し彼の名前はマクタン島の町の名《ラプラプ市》と
 高級大魚《ラプラプ》の名として残り

 数少ないフィリピンの英雄として尊敬を集めて居ります。
                    
 新航路の発見と
 世界周航の世界史的名誉を与えられたマゼラン

 供に散って逝った多くの船員
 残された家族
 凄まじい時代・大航海時代。

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(坂の多いリスボン市内  ファドが聴こえてきそうです)

 リスボンの旧市街でファドを聴きました。
 大航海時代を支えたポルトガルの演歌です。

 マゼランも居た町リスボン
 ゼランも送り出したべレンの塔
 マゼランも聴いたであろうファド、曲りくねった坂の旧市街。

 みんな消えていった歴史。

 僕は今、家の窓を開けて明かり瞬くセブの街を見ています。
 マゼランも見た海と夜空と椰子の木を!

 バン バン バッバン 突然爆竹の音  

アノーどうでも好いけど窓の下で爆竹鳴らすのヤメテ呉れない!
 
 折角ロマンチックに浸ってるんだから 
 マゼラン退治の戦勝記念の爆竹  かな・・かな
             

           それではまた後日
       


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(リスボンとべレンの塔)

バルト三国 何処でしょう

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(エストニア タリン旧市街)

      
 エストニア、ラトビア、リトアニアを《バルト三国》と云います。

 では何処にあるか知っていますか。

 僕はリトアニアの首都ビリニュスで
 一寸大きな本屋に入って書籍チェックをしていました。

 所謂立ち読みです。其処で全顧客の眼を意識しました。
 視てない様に見てる視線てありますよね。

 此の国は黒人は勿論、アジア人も見ません。
 黄色人種が本当に珍しいんですね。
 向こうが知らないんだから僕達が知らなくて当然です!。

 居直る事にしました。

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(歌の祭典をやる屋外イベント会場)

 ポーランドの北、バルト海に面した場所にバルト三国はあります。
 海への玄関口が欲しいロシアには是非とも必要な場所です。
 関心のある方はどうぞ地図で確かめて下さい。


 人口は三国合わせても800万人弱
 ソ連邦崩壊間際に独立を果たしました。

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 ここが民族問題を抱えていた地域とは思ってもいませんでした。
 ロシアと云う国は
 近隣諸民族と大変な緊張関係を持っていた国だったんですね。

 資本主義・社会主義の単純な対立軸だけでは理解出来ませんでした。

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(お城のガイドさん)

 三国を7日間で周って見て
 国毎の特徴と云うものは分りませんでした。

 只、ファッションが女性は銀髪
 (ロシア人の黄色がかった金髪とはまるで違う)のロングヘアーで
 タイトなパンツにブーツを履き

 革ジャンバーで全てが黒色。

 殆どの若い女性がこのファッションで然も・・然もですよ
 美人が多い 驚くほど多いんです。聞いてますか?。

 驚くほど多いんですよ。 

 男性は ? 

 夜、繁華街で酔っ払いに絡まれたのですが。
 其の時思った事は
 ロシアの酔っ払いの形と同じだなと云う事でした。

 眼がドロンとして相手をナブリ殺しにする眼
 腐った様な眼、ロシアでは何度も見ました。
 半分ロシアなんですね。

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(夜 この近くで 酔っ払いに絡まれました)

 此処に行ったのは6年程前でしたが経済も立ち直っており
 ヨーロッパでしたね。

 小さい国は立ち直りも速く
 ロシアの混迷に比べて対照的だと思いました。

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(杉浦記念館)

 此の後カウナスの杉原記念館、トラカイ城を見学して帰ってきました。

 此処が例えばイスラエルの様な
 狭くても特別な地域と云う事はありません。

 ただロシアとヨーロッパを理解する為には
 見ておいても損の無い場所だと思いました。
       

    それではまた後日

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(このお城 湖の近くで 琥珀を買いました)  


北緯69度 トロムソ で オーロラ は見えたか

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(オーロラは写真には写りません。カメラの性能に拠ります)

 北緯69度ノルウエーの港町トロムソは北極圏になります。

 1月、オーロラを観に出掛けました。
 
 オーロラ出現が期待出来る
太陽の活動が活発な年の事でした。

 ヒースローとオスロで乗り継ぎ
 可也の時間を掛けてトロムソまでやってきました。

 暗い・くらい・暗い・クライゾー!。
 メキシコ暖流のせいで気温は北海道なみ
 しかし暗い、1月中旬、太陽は殆んど出ませんでした。

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(トロムソ 北緯69度 北極圏です。 冬は ほんとーに 暗い)

 上の写真は昼1時頃、昼間です。

 トロムソに居た4日間、昼も夜も同じ真っ暗
 (昼に少しボーッとなるだけ)
 井戸の中に4日間居た様なものでした。

 人間、長期間明かりが無いと身体の調子が狂って来ます。
 ストレスが溜まって来て叫びたくなります。
 『暗いぞー!』と、ムンクの名画叫びは『暗いぞー』と
 叫んでイルノデス。

 うん 間違いない!。

 オーロラは見えたかって?・・・ほんの少しだけ・・。

 小学生の頃、下敷きを脇で擦って静電気を作り
 蛍光灯の近くにかざすと蛍光灯がパパッパッと
 ボヤッと明るくなる実験しませんでしたか?。

 あれがオーロラでした。
 オーロラが出現すると真夜中、ホテル中にベルが鳴り
 全員玄関から飛び出して行くのですが

 此の避難訓練の様な事を繰り返してもヤット1~2度見たかなー
 オーロラだったのかなー?と云うことで。

今回はハズレでした。 残念・・切腹・・でした。
 
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(昼間ですが 兎に角暗い)

 其れではと云うことで今度は犬ぞりに挑戦
 タップリ着込んで橇に乗り10頭程の犬に曳かせると

 犬に拠ってはアッチ行きコッチ行きでまともに走らず
 其れは其れで楽しい時間を過しました。

 ストレス解消・・楽しかった!。
 お土産にトナカイの毛皮を買って来ましたが。
 
 30ドル 翌年倉庫から出して見ると
 毛が大量に抜けてきて掃除が大変でした。

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(人魚姫 意外に小さかった。ここも寒い)

 ノルウエーからの帰路
 コペンハーゲンを1日1泊観光し人魚姫を見て帰ってきました。

 コペンハーゲンは北緯55度
 カムチャッカ半島と同じ緯度ですが、太陽は見えました。

 アリガタヤ アリガタヤ    でもトロムソの人・・・・・
 夏は太陽が全く沈まないんでしょうね。

 一日中昼・・・ウーン・・お身体を大切に!
         

    それではまた後日
       

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(完全防寒具で犬橇に乗りました)

タオルミーナのゴッホ画伯

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(タオルミーナのローマ遺跡)


 アテネからコリント運河を抜けてナポリまで3日間の船旅をしました。

 定番の海外旅行
 楽しかったの一言でした。もう6年程前の事でした。

 初めての船旅、初めての避難訓練
 生演奏のディスコ大会、船の食事にハズレは有りません。

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(コリント運河を通過)

 シチリア島タオルミーナでの途中下船観光
 息をのむコリント運河の通過、同行者とも確実に親しくなれます。

 ギリシャ ローマは遺跡の宝庫
 歴史の教科書が観光案内になります。

 乗客に新婚さんも多く
 何時もの高年齢層の旅行とは一味違う物になりました。

 夕刻ボートで船を離れ上陸地の丘から母船の灯を眺める時
 なんとも云えない恋しさが胸に込み上げて来ます。

 タオルミーナの港湾に佇む2万トンの小さな船
 此の湾には丁度良い大きさかもしれません。

 丘の上には広場があり、高台にはホテルも建って居ました。
 一日の仕事を終えた人々と子供達で広場は賑わっていました。

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(タオルミーナの遺跡から)

 丘の手すり越しに船を眺めて居ると
 公園の入り口近くで
 数人の絵描きが書上げた似顔絵を飾っているのが目に付きました。

 未だ一時間程集合時間には間が有ります。
 記念に娘の似顔絵でも書いて貰おうと声を掛けると
 ゴッホにも似た髭面のオジサン、OK 30分で出来ると言いました。

 彼女を椅子に座らせると絵筆をゆっくりと洗い始めました。
 絵が進むに連れ子供達が集って来
 似てる 似てないと賑やかに成りました。

 只、画家は妙に真剣です、笑顔は有りません。
 彼女も疲れたのか笑顔が有りません。

 其の内30分が過ぎ、40分に成り
 絵は出来上がる気配は有りません

 大丈夫かと聞くと、目を白黒させて、「後5分」と云います。
 そして5分後に又「後5分」と云いました
 そして又後5分。

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(2万トンの中型客船 アテネから乗船)

 此処で僕は事の重大さにヤッと気が尽きました。
 団体集合場所は坂ノ下300mの交差点
 遅れるとボートの便が無くなります。

 僕は(目を白黒させて「後5分」と言い続けるゴッホ画伯)と娘を置いて
 集合場所へ駆け出しました。
 同行者達は集合を終え、もう港へと移動を始めて居りました。

 添乗員に事情を話し迷惑を侘びて
 坂をまた駆け上がるとゴッホ画伯はまた、目を白黒させながら
 「後5分」とノタマイます。

 添乗員も駆け付けて来て 僕が未だか 未だかと言うと
 画伯は「出来た
 でも眼鏡はどうする」とマタマタのたまいました。

 『イラネー!』と金を払って絵を引っ手繰り
 娘と添乗員と3人で
 石畳の坂道を息堰切って港へと駆け降りて行きました。

 可也待たせてしまった同行者達に侘びを言うと
 直ぐボートは母船へと走り始めました。

 此処で教訓《イタリア人の5分は一時間、ユメユメ信づるべからず》
 斯うして船はナポリ港に着き旅は楽しく続きました。

 娘の部屋の壁には、実物よりも美人に描き上った
 未だ眼鏡が描けてない似顔絵が飾って有ります。

 ゴッホ画伯は今でもタオルミーナの丘の上で
 絵を描き続けているのでしょうか。 目を白黒させて・・・
                

    それではまた後日
  


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(やっと ナポリ港に到着しました)

花の御フランス パリの裏町に居たものは・・

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(モンパルナスの丘で 初めての海外旅行)

 初めての海外旅行 何処に往かれましたか
 パリと云う方多いと思います。

 今流行りの韓国映画でも
 《パリ》と云う言葉は憧れを持って使われて居ります。

 でも実際行ってみると両替所でさえ英語が通じない(知らないふり)。
 不法駐車のやま。
 中心部の地下鉄に大量の浮浪者が住んで居る。

 乱暴無頼なアフリカ人がゴロゴロ居る。
 スリ カッパライの類のオンパレード。
 其れで居て異状なまでのフランス語に対するプライド。

 コスモポリス(国際都市)とはこうなる運命ナノカなと
 思い知らされるのがパリです。・・と僕は思います。

 18世紀迄の繁栄、セーヌ河畔の重厚な建物 
 美しい風景は規模に於いてもヨーロッパ随一だと僕も認めます。

 でも それは2世紀前までのこと
 昔は絶世の美女、でも今のテイタラクではねー・・。

 以前モロッコに行った時、此処は旧フランス植民地でした。

 一流ホテルに行くと仏語スピーカーと英語スピーカーは明らかに
 且つ、慇懃に差別されました。
 此れが有名な『フランス病』です。

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(ベルサイユ宮殿)

 文句言いながらもシッカリ観光しました。

 楽しかったー!。
 モンパルナス、オルセー、ルーブル、
 凱旋門はテッペンまで200段の階段を登りました。

 屋上に着いて係員にボンジュールノーと云うと
 満面の笑みでボンジュールノー ハポネと返して呉れました。

 公園で回転木馬に乗り、マフラーを買い
 レストランでサラダを2人分注文すると

 バケツ一杯分の野菜が出て来ました。
 イヤー楽しかった。

 海外旅行2回目でした。      昔の事です。
  
 パリ最終日、午後 
 市街中心部から郊外の安ホテルまで地下鉄で帰る事にしました。

 暗いホーム 
 地下鉄車両に住んで居る浮浪者達にジィッート視られながら
 緊張の余り2駅前で下車してしまいました。

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(ムーランルージュ)

 ショウガナイ歩こうと40分程歩いて
 ホテルが坂の上に見え始めた頃。

 何処からとも無く
 白人の気の弱そうな若者が地図を広げて遣ってきました。

 オヤッとは思ったのだケレド、ホテルも近いしと思い
 道案内の相談にのった途端、大柄な2人のフランス人が現れ、

 サッと警察の身分証明を見せ
 英語で『お前達は麻薬の取引をしていた、現行犯逮捕する
 パスポートと財布を出しなさい』と云う意味の事を言いました。

 エッエエーッ ウソッ エエッー うそ 冗談かっ チョッとまって
 と思っている内に、サッキノ若者
 パッパッパーと早業で財布とお金と何やらを
 警察官達に差し出すではないですか。

 エッエッエー ウソッ ナ二此レ 何が起こったのー。
 気が動転、信じて疑わず、お人好し日本人
 僕達は2人で口を揃えて言いました
 『ジィスホテル、セキュリティーボックス、パスポート
 ノーマネー、カムウィズミー』

 念仏の様に此れを繰り返し、動揺露わな僕達の姿に
 根負けしたのか、駄目だ此れは!と思ったのか。

 警察官達
 『よし解った、今回は大目に見てやろう、でも此のことは絶対内緒だぞ』
 と言ったと思う 思うぞ!。

 僕達はサンキュー サンキューを繰り返し
 ホテルに向って猛烈ダッシュ!

 100m程走ってフッと振り返ると
 警察官はおろか犯人の若者の姿も無い。

 此処で初めて偽警官 騙されたーと気づいたのでした。
 エッエエッー ウソッ ウソダロー・・・・・
 そうです嘘だったのです。ピンポーン。
 
 警察官は一番怪しい、一番危険、
 タトエ本物でも偽者でも・・ハイ此れ世界の常識・日本の非常識です。

img222
(ノートルダム寺院の裏庭で)

 斯うして僕は75ヶ国を旅して日々疑い深くなり
 性格も悪くなり、凶暴になり
 モスクワ空港でマシンガンを頭に突きつけられても、

 南ア ヨハネスブルクの税関で睨みあったり
 マニラ空港で横暴な係り官を怒鳴り就けたり
 袖の下を巧みに渡したり、強柔両用。 

 其の内殺されるよ!。 と云われるマデニ成りました。

 《ネバーギブアップ・今日も・明日も・衝突するまで目は閉じない》
 captainyama標語です。
                 

         それではまた後日
  


img227
(シャンポール城)

ジーザス in poland

PICT1559
(木彫りのジーザス ポーランド)

       

   この叔父さんはサウナで汗を流している訳では有りません。

 ポーランドで買ってきた木彫り人形です。
 市場の片隅にそっと置かれていたものです。

 美術館にも古いモノが展示して有りました。
 伝統的なモノであり
 且つポーランド人は此れを余り好きでは無いように見受けました。 

 考え込むジーザス ポーランド
 こんなにカソリックに熱心な国民は見た事がありません。

010615123
(教会見学)

 有名教会でのミサのパレードなど無宗教の私でさえ跪いてしまいます。
 荘厳そのものでした。

 小学生が下校時に大挙して教会に訪れ懺悔している様など
 他の国では見る事はありません。

010615070
(子供はどこでも明るいですね)

 こんなにジーザスを恋焦がれているのに
 此の300年程のポーランドの歴史は惨憺たるものでした。

 大国の間に挟まれ幾度、国が無くなりかけた事か。
 ジーザス本人でさえ思わず考え込んでしまいます。

 其れを的確に現した物だけにジーザスの木彫りは伝統品として残り
 且つポーランド人は其れを日向では直視出来ないのです。 

 市場の片隅でそっと買い手を待っている 
 ポーランド人の心そのものなんだと僕は思いました。
                 
 ポーランドの観光と云うと何が想い付きますか。

010615057
(アウシェビッツ)

 ショパン・キューリー夫人 アウシェビッツ 
 塩の鉱山 細い樹が連なる痩せた土地・伝統的カソリック教会 
 連帯ワレサ 鉄道 ヨーロッパの外れ。

010615019
(キューリー夫人の家 博物館)

 ウーン ウーン ウーン。
 ドラキュラしか観光資源のないルーマニアと大差ないかもしれないですね。

 暗いね! 暗いね! 『アイネ クライネ ナハト ムジーク』なんて駄洒落も出て来ました。 
 解らない人、どうか無視してください!。

 ドイツの空港でワルシャワ行きの便を待っている時
 ロビーに集って来る男性は皆(ワレサ顔)の角張った特徴の有る顔でした。

010615006
(ショパンの像)

 ロシア人に近いスラブ系の顔です。
 ヨーロッパは狭く陸続きで言葉も違います。

 人種も違い、少ない人口でも其々が国を建てています。

 ヨーロッパに来る度に 島国の日本人には解らないと何時も思います。

010615039
(塩の鉱山の中にある 塩製の像)

 冷戦が終わって15年、もはや戦後ではないと云う人もいます。
 でも冷戦後の乗り越え方は国によって差があり
 大きい国程苦しみは大きく永く続いて居るように思います。

 バルト諸国やブルガリア等小さな国はもう完全なヨーロッパだと思うのですが
 ロシアなどは未だ未だ困難は続くように思います。

010615098
(ポーランドの田舎の都市)

 北朝鮮問題など将に此の未解決問題に他ならないと思うのですが。

 どんな国にも家族が居り、生計を立てる為に働き、遊び、老いて行く人達がいます。
 その善良な人達が生まれて来て良かったと思える人生を送れるように
 僕も微力ながら祈っています。

   今日は真面目に閉めます。


    それではまた後日。
                     

PICT1557
(やっぱり サウナのオジサンに見えますか・・・?)

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